「障害者」「障がい者」「障碍者」どれが良いか?
「障害者」「障がい者」「障碍者」どれが良いか?表記や呼称の問題です。東京パラ五輪卓球日本代表古川佳奈美さんを応援するにあたって気になっていた。古川佳奈美さんを書いた私の投稿古川 佳奈美さん 東京2020パラリンピック出場権獲得古川佳奈美さん テレビ番組出演情報 パラ☆DO! 8/1(土)どれが良いのかずっと心に引っかかっていた。今一度、確認し記録しておく。メモ的記録のための投稿です。ハンデキャップのある人と長い間関わったり、近くに障がい者が多数居た経験をした私は、近年、柔らかい印象を与えるイメージでNHK以外の報道各社が表記する「障がい」を使ってきた。それが正解とは思えなかったし、長年どの表記が良いか議論が続いているのも知っていた。しかし、仮に法律で決まるとは思えないので、最大でも政府や所管の行政監督庁が推進案を提起するぐらいと思っていた。また、それを国民の多くが親しみ馴染むとは思えなかった。つまり大きくは変化ないままだと思っていた。日本は変化を嫌う。継続したものは、余程の理由と明らかな多数の支持がない限り変化に同意しない。例えば憲法。実情にあわない事があっても、一語も変わっていない。未だに「あなたは憲法改正に賛成ですか?不賛成ですか?」というフレーズが出てくる。何をどう変えて、どう運営施行するのか、という質問ではない。笑うしか無い。例え、他国とは憲法や法律の形式や条件など違うとは言え、国民が困っているのに、基本的な法律が変わらないなんて、おかしいにきまっている。かつて、日本が政治や医学やその他多くのお手本にしたドイツ。一概に比較はできないが、憲法を何百回と改正している。ドイツは日本と同様、敗戦国で、国民に多くの犠牲を強いる国家運営があった。しかし、ドイツは反省すべきはおおいに反省し、それを基に改めてきた国民性がある。日本は経済中心に改めてきた感が強い。1億総中流社会になった。素晴らしい。しかし、唯一無二の被爆国でありながら、命や健康や人権をドイツや真の先進国よりは軽んじている。更に悲しいのは、運営や実際の正しくない行動に対して何もしない事だ。例えば、飲酒運転。重い?罰則がありながら、多くの国民が法を無視して飲酒運転をする。ごくごくまれに、警察等の取締やキャンペーンがあるが、圧倒的にそれらを避けて飲酒運転されている。やりたい放題。交通戦争と言われた時代からすれば大きく減ったが、死者は数千人以上。なぜか、本気で防止していないからだ。運用の問題だ。運転者個人識別特定した人のみが、可動させるシステムなんて議論はされているのか。1970年の万博で、あるいはその前後で識者などの未来交通は立体交差で接触を避ける構想はなくなったのか。共に、安全重視すれば、他方で衰退する産業が出る。変化を好まない日本。かつて「大食い」をテーマにしたテレビ番組が多数あったが、死者が出たり、その他多くの問題があり、完全になくなっていた。しかし、最近復活気味。差別やイジメや乳幼児虐待や育児放棄で多くの命が失われた。それらの事件は今年もあるがコロナ問題で報道が大幅縮小された。NEWSというぐらいなので新しいものを使う。大きな話題も結論を報じないNEWSが多い。というような事も、変化を好まない。大分、引用文が脱線したが、日本は変化を好まない。変化しない、変化することを嫌う。そして「障害者」「障がい者」「障碍者」次元が違うが、これも結局はどれも馴染まないので変化を好まない。結論がでない。結局は従来通りで変更なし。変化なし。ただし結果として変化なしでもおおいに議論しての結果なしは大きな意義がある。選挙に行かない人に理由を尋ねると「どうせ変わらないし、政治はわからない」という答えが報じられる。しかし、各人が、どんな選挙で、候補者の主張や意見を比較して、結果として現職に投票したり、投票しなかったりすれば良いが、何もせずに無投票の人も多いらしい。もっとも。制度やシステムや要件を緩和する必要はある。私は期日前投票が実施された2003年か2004年以降は、全ての選挙に投票した。ほぼ期日前で。それ以前は、不在者投票と言って、厳し目の条件に合致する人しか認められなかった。今は「遊びにくので」でも期日前投票は出来る。事実上、日常生活していれば理由は何でも認められる。そして私は、意見があれば、役所や教育・警察や各機関団体企業などの窓口に「改善要望」の書面(紙は少なく、名乗った上でメールが多い)を出してきた。十数回。死ぬまで投票し続けた証として「投票済証」を保管していたが、残念ながら交付されなくなった。私の嫌味な自慢はさておき、結果は変わらずとも過程において議論はとても大事であるという事は、洋の東西を問わずである。乙武洋匡さん私はあまり好きではないが日本一有名な?障害者の乙武洋匡さん。この人の意見。「障害」を「障がい」と表記しておけばいいだろうという安直さにドロップキック。 有料ブログを無料公開している投稿のタイトルで、結論は呼称ではなく、社会から「障害」を減らしていくことなのだ。素晴らしい正論。しかしこれでは論じていないのと同じだ。しかし著名な方のご意見はそれなりに大きく意味があるとは思うので、記録しておこう。ブログへリンク元NHK・堀潤さんNHKが「障がい者」ではなく「障害者」を使いつづける理由記事リンク障がい者と企業をつなぐTRYZEメディア「障害者」「障がい者」「障碍者」どれが正しい?漢字の意味と違い【障害者】常用漢字として登録されており、「障」「害」という漢字の捉え方に様々な意見はあるものの、まずは便宜的に使用される漢字【障碍者】「害」という字が「害悪」「害虫」「公害」などをイメージさせるため、「妨げ」という意味である「碍」という字を使うことで、社会的生活の妨げとなるハンデを持つ人という意味を持たせるために使用される漢字【障がい者】上記2つの定義や意味、意見に左右されない漢字として使用される結論既に3つの漢字で混乱を招いているとも言える現状で、最終的な結論を出すまでにはまだまだ時間がかかりそうです。記事へリンク8/28の投稿総理辞任で五輪への影響 8/28 16時追記五輪開催云々で総理大臣や国が開催決断あるかのような文脈だった。もちろん開催するのは都市である。東京都が主催者で、準備運営は東京都とJOCが折半出資の財団法人・大会運営組織委員会が行う。しかし多くのセレモニーや運営面や象徴的場面では、国や行政の長が対等かそれ以上に出てくる。つまり国が全体として大きな役割を担っているのは周知の事実である。五輪中止の論議も継続の報も少ない。多くの報道は次の総理は誰か?がメインで何をどうすべきか、どうなるかの話題は二の次三の次。しかもこの人が総理になると経済優先でコロナ軽視気味とかの情報も少ない。つまり予想大会である。更に議論や話題の順序が違うと言う評論家は少ない。制作サイドの意向がそのままで進行される。まあ逆らえば次の出演や取材はない可能性があるので仕方ないか。それをそのまま受ける多くの国民は、素直で平和。悪い意味で凄いぞニッポン。日本以外では次期首相候補にアンチ個人政治家や政党にキャンペーンやデモが起こる国が多い。日本では主義主張はよほど正しい内容でない限り、無視されるか、叩かれる。一方。個人情報漏洩リスクを懸念してマイナンバー制度やカードが不人気だ。荒っぽく言えば、個人を認めず、他方では個人を保護し国の一括管理を嫌う。整合性のない国民と欧州から叩かれる所以である。悲しい事だ。政治的主張ではなく、事実の比較。