カテゴリ:岬麻呂旅便り
友人・岬麻呂氏からの旅便りが届きました。
今回からはハガキに印刷した「旅報告」の郵送に代えて、印刷前の「旅報告」を電子メールに添付という方法で送っていただくことができました。 写真については、かなり前からメール添付で送っていただいていますので、これで全てのプロセスが電子化されたことになります。 かつては写真も紙に焼き付けたものを送っていただいていて、それをヤカモチがデジカメで撮影し、その画像をPCに取り込んでいたのですが、写真を撮影した画像なので、鮮明さに欠けるという難点がありました。メール添付による送信で、岬麻呂氏撮影の元画像がそのまま入手でき、この問題は解消しました。 残るは、紙で送られて来る「旅報告」と「写真説明」でありましたが、これも、今回からは、ヤカモチが撮影してPCに取り込む必要もなく、メール添付のそれをPCに取り込めばいいだけとなりました。 さて、今回の旅は、網走・流氷の旅であります。 流氷の旅は毎年恒例にされているようでありますが、今回はご長男、そのご長男(つまり、岬麻呂氏のお孫さん)、岬麻呂ご夫妻の4人旅でありました。 では、メール添付で送られて来たという旅報告と写真説明を先ずご紹介申し上げます。 (旅・岬巡り報告327) (同写真説明) ※画像をクリックしてフォト蔵の大きいサイズの画像でご覧いただくこともできます。 では、八日遅れとなりますが、流氷の旅に私たちもお相伴させていただきましょう。 2月19日 関西空港→新千歳空港→女満別空港→レンタカー→能取湖南岸→能取岬→網走セントラルホテル(3連泊) 関西空港からの女満別空港直行便がなくなったそうで、新千歳空港での乗り継ぎで女満別空港へと向かいます。 (岩木山・機上から) 津軽上空から見る岩木山です。 飛行機の窓からの撮影ですが、綺麗に撮れています。 (函館山・機上から) そして、函館山です。 海に突き出した半島の先に函館山が一望です。 飛行機の窓からの写真が続きます。 (富良野盆地・機上から) これは、新千歳から女満別への飛行機から撮影の富良野盆地。 昨年ご逝去されたfurano-craftさんのことなどが思われます。 (十勝連山・機上から) 同じく、雪の十勝連山です。 (サロマ湖・機上から) 女満別空港へと高度を下げて行く機上からのサロマ湖です。 すっかり凍結して白い雪原となっているサロマ湖であります。 (能取湖・機上から) 女満別空港への着陸は、いったん海上まで出て旋回し、北側から着陸するという飛行ルートになるのでしょうか。 この日は南寄りの西風が吹いていて、北からの着陸ルートということになったのでしょう、多分。となると、流氷は沖合に離れ去ってしまうこととなり、流氷観光としては問題あり、である。 それはともかく、能取湖上空から女満別空港へと着陸態勢に入ったようであります。 女満別空港でレンタカーを利用して、向かわれたのは能取岬。 (能取岬) 流氷の 旅にしあれど 岬麻呂 先に訪ねな 能取の岬 (岬家持) ということで、今回の旅の宿、網走セントラルホテル到着であります。 夕食では、「地酒を楽しんだ」というのが定番の岬麻呂氏でありますが、今回はお孫さんとご一緒ということで、そちらに気が向かわれていたのでしょう、「夕食は近隣の食事処で、孫は珍しいものばかり注文、特にエゾシカの刺身が大変気に入った様子で・・」とお孫さんのことを書いて居られますな。 食であれ、何であれ、好奇心旺盛なのは、おじいちゃん譲りと言うべきかもしれませんが、いいことであります(笑)。 流氷観光船、ガリンコ号を予約されていたのでしょうが、その夜、明日のガリンコ号は欠航する旨のメールが入ったとのこと。 2月20日 涛沸湖・白鳥公園→斜里町・宇登呂→オシンコシンの滝→エゾシカ牧場→天に続く道(R334)→網走監獄博物館 ガリンコ号が欠航とあっては是非もなし。 宇登呂まで行けば、流氷が見られるだろうという岬麻呂氏の見込みに従い、宇登呂へと向かうことに。 (流氷下への潜水) はい、その見込み的中。宇登呂の流氷です。 知床半島が流氷をせきとめる役割をしているのですな。びっしりと接岸しています。 この流氷の下へ潜水しようとする人も居るようです。 (宇登呂の流氷) 岬麻呂氏のご長男とお孫さんは、接岸している流氷の上に乗ってご満足であったとか。 我はもや 流氷に乗りぬ 知床の 宇登呂の海の 流氷に乗りぬ (流氷家持) こんなにも流氷が混み合っていると、夜更けには、互いにぶつかり、こすれ合って軋む音がするのだろうか。 さ夜更けて 軋む音すなり 流氷の 宇登呂の海に 軋む音すなり (流氷家持) (同上) (オシンコシンの滝) (エゾシカ牧場) エゾシカ牧場は「宇登呂の国道沿いにある」とのことですから、R344沿いということですな。 そのR344の直線道路部分全長28.1kmが「天に続く道」。 視界が悪く、天に続いているようには見えないこの日でありました。 (天に続く道) 2月21日 美幌→津別相生・交通博物館→阿寒湖→鶴居村・鶴見台→摩周湖→屈斜路湖→弟子屈湖→美幌峠 網走に戻るも、こちらには流氷がないのでは、仕方がないと予約していたガリンコ号乗船をキャンセル。津別相生の交通博物館へ。 (津別相生駅・ラッセル車) そして阿寒湖へ。 阿寒湖は完全に凍結していて、湖面が駐車場になっている。 「ダンプカーも走れるらしいです」とのことだが、過去には90cm以上もあった氷の厚さが温暖化で年々薄くなってきているだという。 (阿寒湖・雄阿寒岳遠望) そして、鶴居村の鶴見台へタンチョウを見に。 (丹頂 鶴居村・鶴見台) (同上) (同上) 次は、「霧の摩周湖」ならぬ「吹雪の摩周湖」。 霧であれ吹雪であれ、視界が悪くて見えないのであれば、どちらでも同じこと、の摩周湖であります。 (摩周湖) 屈斜路湖は、湖岸から温泉が湧出していて、その部分が凍結を免れているので、白鳥たちが集まってくるのだそうです。 (屈斜路湖の白鳥) これは美幌峠から眺めた屈斜路湖。 中央の小島は中島。 (美幌峠) 岬麻呂氏「『君の名は』の有名な場所の一つ」とのことだが、ヤカモチは知らない。「佐多啓二と岸恵子の映画は若者は知らない。同名の漫画が有名で知っている。」とのことだが、中途半端なヤカモチはと言うべきか、超高齢過ぎて認知機能が衰えたからと言うべきか、何れにせよ、その映画の題名は記憶するものの、内容の詳細は知らないので、「ああ」とも「そうそう」とも申し上げ兼ねるのであります(笑)。 2月22日 サロマ湖・ワッカ原生花園→R238→湧別→網走・オホーツク流氷館→女満別空港→新千歳空港→関西空港 旅の最終日は、サロマ湖へ。 (サロマ湖・地吹雪) 上の写真撮影直後に、右方向から猛吹雪が襲来したとのことですが、国道238で湧別まで、お孫さんに雪道運転の練習ということで「吹雪と地吹雪を体験させる」ということをなさったとか。 いいおじいちゃまですね。 (サロマ湖) 着陸の際に上空から眺めたサロマ湖ですが、ワッカ原生花園もサロマ湖も当然のことながら、雪に埋もれていて、ただの雪原。 (同上) (網走湖・オホーツク流氷館屋上から) まあ、何にしても楽しそうな家族旅行でありましたね。 全743kmのドライブ旅お疲れさまでした。 <参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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家持様
まず最初にお礼申し上げます。パソコン操作について教えて下さり習熟度が少し上がりました、有難うございました。一昨日娘の所の女の子(孫、情報学科)も来て教わったりしましたが、高齢者には操作を覚えるのが大変でした。その後悪戦苦闘して何とか家持さんが教えて下さったサイズでお届けできて良かったです。 早速旅報告をご紹介下さり、有難うございます。 ホテルのレストランはコロナ禍以降休業していました、近隣外国人(台湾、韓国など)の団体さんがある時のみバイキング営業しているようでした。ホテルは網走の中心街にあり、近隣にはたくさんお店があります。しかし流氷の季節はいずこのホテルも満室で、食事処も予約が必要で往生しました。報告に記載しませんでしたが、連夜しっかり北海道の地酒は楽しみました。 ご指摘の流氷の密度が高くなり、岸に押し寄せる夜には流氷の擦れあう音がすると宇登呂で聞いたことがあります。その人は「海が鳴く」と表現されていたことを思い出しました(宇登呂の海際に宿泊したことがありますが、この経験はありません)。 天候は吹雪いたと思ったら、一瞬青空がのぞく変わりやすい日々でした。朝ホテルから出かける頃は-8℃とか-10℃で、昼頃の最高気温が -2℃になると寒さをさほど感じなくなりました、感覚の慣れとは恐ろしいです。 (2024.02.28 01:15:06)
>悪戦苦闘して何とか家持さんが教えて下さ
ったサイズでお届けできて良かったです。 ご足労をお掛けして申し訳ありません。 今後は、紙による郵送の手間が省けますので、ブログアップの迅速化に資するかと。ということで、当方も今回は少し頑張って、写真画像到着メールを確認した、その日のうちに記事アップさせていただきました。 >連夜しっかり北海道の地酒は楽しみました。 まあ、そうでしょうね。それはそのように想像して居りました(笑)。 >岸に押し寄せる夜には流氷の擦れあう音が すると宇登呂で聞いたことがあります。 「海が鳴く」ですか。なるほどの表現ですね。 流氷の 寄せ来る夜は 海が鳴く 泣けとや鳴くか 網走宇登呂 (流氷家持) >朝ホテルから出かける頃は-8℃とか-10℃で 昼頃の最高気温が-2℃になると寒さをさほど 感じなくなりました ヤカモチには想像できない寒さですが、慣れるとそんな感じ方になりますかね。まあ、その地に暮らしている人には、それが毎日のことなんだから、そうでないと生きていけませんね。 (2024.02.28 10:33:51)
こんにちは(^^)
例年の行事、流氷を御覧になられたのですね。ガリンコ号が駄目でも 宇登呂へと。さすが 岬麻呂さんですね。 乗れる程に 分厚い流氷なのですね。 タンチョウがたくさん 集まるのですね。去年 戴いたタンチョウのお写真は 玄関に近い部屋に飾っていますので 出掛ける時、帰宅の時、見守ってくれています。 北海道でタクシーに乗ったら 運転手さんのお話。“本州で運転出来る人でも 北海道の雪道は 相当 怖いから 運転が難しい”と。 お孫さんは 岬麻呂さんの教習を受けて 完璧な体感されて もう怖くありませんね。 大阪の生半可な寒さに馴れていますと -10℃は辛いですね。 手稲山スキー場に行った時、山頂で-15℃でした。驚きましたが その頃は若くて スキー装備をしていたら さほどではありませんでした。 743kmの車中は 御家族の笑顔で 暖かいことだったでしょう。 (2024.02.28 16:46:49)
家持さんへ
>これで全てのプロセスが電子化されたことになります。 本日のブログの前書きともいうべきところを拝読 過去、どのようにして旅だよりをブログにアップしておられたのかということがわかりました。 いや、恐れ入りました。 そのようなプロセスを経て我々は旅だよりを拝見していたのですねえ。 ブログを拝見する側は今までと同じように拝見するわけですが編集される側のご苦労が省力化されることは恐悦至極。 今後とも楽しませていただくことといたします。 岬麻呂さまへ 今後とも楽しい旅だよりを楽しみにしております。 流氷をこの目で見る、流氷の氷でロックのウイスキーを飲む ということが今後やってみたいことの一つとして宿題になりました。 (2024.02.28 21:43:11)
ひろみちゃん8021さんへ
今晩は、何時もコメント有難うございます。 1 宇登呂の氷上ウオークツアーはウエットスーツ着用です。その場所は岸から離れた場所で催行されています。孫たちは砂浜に乗り上げた流氷ですから注意しませんでした、もっとも雪と氷でどこからが砂浜かの判断は困難ですが。孫たちは前夜のニュースで流氷から観光客が海に落ちた報道を見ていましたので、注意はしていたようです。 ところが、写真の流氷下潜水の場所の左奥で、ウエットスーツを着ていない女性観光客2人が無謀にも流氷の上ではしゃいでいました。 2 今年も丹頂を見に行ったのですが、例年見かける風景で丹頂がよく見える場所の最前列はカメラの三脚をかまえている人で占拠されていました。朝から夕刻までベストショットを撮るのに頑張って居られるようでした。 3 雪道(アイスバーンの時も)運転の大原則は、急ブレーキの禁止(エンジンブレーキに頼る)と急ハンドルの禁止なのです。地元の人はこれを厳守しますが、危険なのは前後を走る車間をあけないレンタカーです。地元の人は横道(雪の壁の間から)出る時は通過する車をやり過ごしますが、雪道の怖さを知らないレンタカーの人は突然出てきますので恐ろしいです。 4 -10℃でも風が無いと良いのですが、、、。以前大雪山ロープウエー山頂姿見駅で-21℃経験しましたが、予備のデジカメはシャッターがおりませんでした。寒いのは老人には酷です。 5 雪道運転の経験は山梨時代、小高い丘の上に8年居住していました。毎年雪道の経験していましたので、雪道には慣れています。暴走老人ですから同乗者(愚妻以外)は怖かったことでしょう。 (2024.02.28 22:30:15)
ビッグジョン7777さんへ
何時もお読み下さりコメント有難うございます。 「流氷のオンザロック」のお話です。流氷はご存知のようにロシアのアムール川の結氷が流れ着いたものです。以前の話ですが、紋別の街はずれに「流氷岬」と書かれた場所(駐車場からすぐが浜辺でまじかで流氷が見れる)がありました。そこで流氷を観察しましたら、何やら混じっているようで真っ白の氷ではありませんでした。ぶ厚く奇麗な水色の流氷もありましたので、それならオンザロックもありかも知れませんね。 「流氷のオンザロック」は経験がありませんが是非一度お試しください。小生も次の機会には流氷のオンザロック試してみたいと思います。 (2024.02.28 23:10:03)
>過去、どのようにして旅だよりをブログに
アップしておられたのかということがわか りました。 当初は、旅便りが届いたということを話題の一つとして時に取り上げるという程度でしたが、写真同封で送って下さるようになってから、その旅のご様子も紹介するようになり、現在の記事スタイルが確立する、という風に変遷して参りました。 同行している訳でもない他人様の旅の紹介ですから、旅程の順序を理解・把握することに始まり、その地の地図を参照したり、ネットで関連の情報を得たりといった記事作成上での苦労もそれなりにありますが、何とか連載を続けています。 写真がメール添付で送られて来るようになって、これを撮影する手間が省けましたが、今後はハガキの「旅報告」なども撮影する必要がなくなりますので、少し楽になります(笑)。 尤も、紙による「旅報告」がなくなったことで、それを脇に置いて参照しながら記事を書くということができないので、その画像をPCで開いて置き、記事編集ページとその画像ページとを何度か切り替えつつ、記事を書くこととなり、その点では、記事を書く上での利便性は少し低下したという点は否めないので、オール電子化もいいことばかりとは言えないようです。 (2024.02.29 10:20:43)
家持様
ビックジョンさんへのコメントの件です。紙の旅報告をお届けしますのは至極簡単ですから、ブログ作成されるのにお役に立つのでしたらお届けしたいと考えています。ご指示くだされば幸いです。 (2024.02.29 12:54:21)
岬麻呂さんへ
PC画面の切り替えはクリック一つでできることなので、大した手間ではありません。折角に廃止したハガキ郵送による旅報告を復活する必要はありませんので、丁重にご辞退申し上げます(笑)。 (2024.02.29 17:27:20)
けん家持さんへ
了解致しました。 貴兄以外に継続して旅報告を届けていますのは、全員パソコン時代ではない友人達で、全員紙の旅報告で紙焼き写真なのです。 昨年末に休止報告した時の返信(休止しないで継続せよ)は全て手書きの郵便物や電話でした。旅報告に同封の紙焼き写真も、他の人との話題に重宝する(写真を並べて多人数で見ることができる)のでそのままで良いとの希望でした。 この様な事情で紙の旅報告を継続していますので、メールでお届けするのと郵送の紙報告を重ねてお届けするのはさして手間のかからない事なのです。 (2024.02.29 18:51:26)
北海道本当に寒そうですね。
いいね完了です。 (2024.02.29 20:33:08)
MoMo太郎009さんへ
何時もありがとうございます。 北海道で一番寒い町は、北見市の南で足寄町の北にある陸別町です。正確には記憶が定かではありませんが、平均気温で日本一を記録したようです、-34℃(?)だったでしょうか。こんな寒さの場所には冬に行く気がしません、夏場には何回か訪ねています(話のタネに)。日本でオーロラを初めて観測ことでも有名です(役場で配布しているマンホールカードのデザインの一部に使われているようです)。 (2024.02.29 22:16:36) |
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