地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「だまされない<議論力>」
吉岡友治 2006
この方、生まれた年も生まれた場所も、私に近い。しかも幼児期は農村に住んでいたということだから、さらに親近感をもって読みはじめた。しかし、似ていたのはここまでで、プロフィールの写真や経歴を見る限り、ああ、このような可能性もあったのか、というほど私とは違う世界の住人のようにも思える。
現在は、ロースクール・MBA志望者などを対象に文章・論理の指導を行っている、とのことである。言葉の使いかた、言葉でのコミュニケーション、言葉での表現、など、言葉にまつわる話は多い。議論となった場合、直接対決なのか、論文でのやりとりなのか、さまざまな形が考えられるだろう。
このブログでの文章は、当然ながらロースクールやMBA向きに書いているわけでもなく、ましてや議論のために書いているわけでもない。せいぜい、個人的な読書のメモ書き程度のものなので、平に平にお手やわらかに、とまずは謝っておかなくてはならない。
とはいいつつ、ネットワーク上のブログとして書いている以上、あまりにもいい加減なことはできないし、いい加減なことをしていては,自分でもなにをしているのかわからなくなってしまう。まずはネット上での議論というものが成り立つか、というテーマがある。2chやブログでの言葉の積み上げがどの程度の成果を上げるのかは疑問だなぁ、とは思う。
SNSでの会話に少し不満を感じて、ブログを書きはじめたのだが、ちょっと窮屈になって、今は窓を開けてちょっと背伸びをしている、というところだろう。本書とは、ある意味反対の本もある。 「書いた内容で自分が評価される」、「誰かがチェックする」などと思うと、それだけで、書く作業にブレーキがかかり、自由な発想力や柔軟な構想力が抑制されて、次第に萎縮してしまう、という意見に、今は賛成だ。
本書の成立ちは、一人のキャラクターが書き上げたような体裁にはなっているが、表面化しないプロジェクト・チームが製作した本のようなイメージもある。文例として取り上げられるテキスト文も、要所要所のなかなか興味深いところから取り上げられていて、その範囲にさらなる興味をそそられる。
このブログは現在、新書本を読んでそのメモを書くというスタイルに定着しつつあるのだが、量的には一日3冊一週間続けるという程度が、まずは限界であろう。この量を維持しながら、質的に整合性のある文章を書くことは、まず無理だ。
じゃ、一冊をじっくり読んで、それについて反論しよう、というのも、今のところはそれほどの本とは出会いもないようだ。もともとは、「ウェブ進化論」一冊を私的に検証しようとして始まったこのブログ、新書本一冊に一ヶ月かけたからと言って、どうも質的に高い反論、整合性の高い論文を書ける、なんてことは、私の場合はない、ということはすでに実証済みだ。当面は軽く、読み飛ばし、書きとばしていこうと思う。
著者が校長を勤めるインターネット講座「VOCABOW小論術」がある。