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カテゴリ:地球人スピリット
「さみしい男」 諸富祥彦 2002 前作「人生に意味はあるか」を読んで、なかなかだなあと感心した。だから、二冊目のこの本になにごとかの期待が大きかったかも知れない。過去に遡るような、逆行している形の読書だったので、ちょっと面くらったところもあるが、概して納得の一冊とは言えるだろう。 このタイトル「さみしい男」というタイトルだけではちょっと食指が動かないが、この著者ならこのタイトルをどうさばくのかな、という興味はあった。最近の私は、だいぶ新書本も読み進めているせいか、あるいはその年代を遠くすぎてしまったせいか、単純な若者論にはすこしあきているところがある。 ニートとかフリーターとか、あるいはネットやケータイに依存する若者を半ば批判的に、半ば揶揄的にとらえる傾向には飽きた。おもしろそうな本はあるのだが,当面はすこしおやすみする。で、この本も前半は、どうも批判的ではないにせよ、若者論に終わるのかなぁ、とちょっと危惧したが、途中から、著者自身の自己開示ということになり、話の展開がとても面白くなってきた。 この本においての著書紹介には「トランスパーソナル心理学入門」という本があるようなので、近いうちに巡りあいたいと思っている。しかし、この時点では日本トランスパーソナル学会の会長とは書いていないから、この数年の間になにごとかあったのだろうなぁ、と推測する。 後半においては、セックスを取り上げている。特に若者のセックスというだけではなくて、日本人全体のセックス観を、しかも前向きに肯定的にとらえている。それは疲れているお父さんの仕事観、家庭観、子育て観、人間観に、するどくメスを入れる手法だ。ある意味、斬新、ある意味、実験的、ある意味、危険。 私は、前の記事で、創造的なプログラマーや瞑想するジャーナリストとともに、このブログにおいての象徴的な職業として「転生輪廻を自らの体験として理解する精神的なカウンセラー」という存在を想定してみた。 著者は前書でも明言はしなかったが、「転生輪廻を自らの体験として理解」している可能性はあるし、そのことを理解するキャパシティは十分あると思う。そしてまた、私は、以前、こうも書いていた。 「性を取り込めるスピリチュアリティ」。つまりは、カウンセラーは生あるいは性と死あるいは再生を、俯瞰的に見つめることのできる存在であってほしい。 あってほしいというより、そうありたい、と私自身が自分に対して願っているのだが、言うは易し、行うは難しである。なかなか自分の表面心理から深層心理まで、見つめてみると、そうそう簡単なことではない。 そういった意味においては、著者の生き方というものは、まだまだ確立されていないあやうい雰囲気を持ちながらも、おおいに期待してしまうのであった。危うさを感じさせながらも、その懐の深さを感じる。私はたしか彼の本「人生に意味はあるか」で初めてマルチチュードという言葉を知った。その後、立てつづけに的場昭弘「ネオ共産主義論」でもその言葉と出会うことになった。 両書においてもその説明は断片的だったので、もうすこし詳しく知りたいなぁと思って、今日は、図書館からネグリ=ハートの「マルチチュード」を借りてきた。残念ながら下巻しかなかったが、私の読書ライフに、またまた風雲が巻き起こる予感がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.30 08:22:25
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