「和尚(ラジニーシ)、性愛を語る」 エッセンス集 玉川信明・編著 2003/2 社会評論社
玉川信明の和尚ノート・シリーズ、「超宗教的世界」、「禅を語る 」に続く三冊目、この後「聖典を語る」で4冊で完結する。
いつであったか10数年前に、Oshoを紹介する新書本のようなものがあったらいいのにと感じたことがあった。出版関係者に提案したこともあったが、私の望むような形での本は出現しなかった。それにはいくつかの困難さがつきまとうので、それは当然のなりゆきであったとも思う。
さて、今回、この玉川ノート(と敢えて言っておこう)シリーズは2~3年ほど違和感があって、なかなか手にとって読むことはなかった。今回、だんだん読み進めてみて、ああ、これは私がかつて望んでいたものが、とりあえずこういう形で実体化したのだなぁ、と新ためて感じ入った。
そのサブタイトル「和尚ガイドブック」である。この本がどういう経緯で、どのような関係者の努力で出来上がったのか、私には詳しいことは分からない。しかし、このような形の本はありそうでなかった。ある意味、いままでのOsho本の成り立ちを知っている関係者なら、むしろ、こういう形では編集出版することはなかったであろう。
玉川信明は2005年に亡くなったが、彼は40年にわたる執筆活動を継続して行なっており、その著作にも触れてみた。ダダイスト辻潤にたいする思いや、ヤマギシ会の山岸巳代蔵の評伝、越中富山の薬売りの民俗学的著述などを読み進めていくにつれて、なるほど、この人なら、Oshoをどう読むのだろうと関心が湧いてくるし、ある程度の、「異例な振る舞い」は、この人になら許してもいいのかな(笑)という気分になってくる。
この本に対しては、私に不満がないわけではない。和尚のあちこちの著作を無際限に切り張りされており、その出典が「参考文献」として巻末に列挙されているが、どの部分がどのような形で引用されているのか、まったく分からない。また、些細なこととは言え、引用したものの誤字脱字校正ミスが複数見られるので、ちょっと白けてしまうところもある。
しかしながら、それもすべては「玉川ノート」として読むとすれば、それほど気にはならなくなる。むしろ、あえてこのシリーズを読むことによって、すでにほとんど読了しているOsho本について、また再読するような、楽しみが湧いてくるのも事実だ。特に、このようにOshoの「性愛」についての言及を一冊にまとめた本など、類書はない。
新人類を創造できるのは、タントラ以外にはない。p202
ものごとすべてにおいて最大表現するのはOshoの常だが、この本の本質、そしてOshoの本質は、この一行に込められていると言っても過言ではない。実際の技法や論及は、実際の書籍や指導者に譲るのでここでは触れない。
この本、「和尚ガイドブック」となっているが、今後はこの玉川ノートからOshoに触れていく人もこれからでてくるに違いない。そして何か感じるものがある人はぜひ原典(もちろん日本語訳でいいが)にあたって、その文脈の含蓄をもっと深く味わってもらいたいと思う。そのように使われるとするなら、この本の存在意義は大きい。
玉川ノート・シリーズについては、著作権の問題や、編集権の問題など、門外漢の私なりに気になることもある。関係している立場にある人たちは、この点についてどのように感じているのか、寡聞にして知らない。それぞれの立場からの意見も聞いてみたいと思う。
<2>につづく