「セレンディピティ・マシン」 未知なる世界発見への航海
デビッド・グリーン著 羽山博・訳 2005/3 (原書2004) インプレス
最初、この本を読んでいて、あまり目新しいことも書いていないような感じがして、すこし退屈だなぁ、とあくびがでた。私の読書はもともと図書館の開架書庫に並べられている本を借り出してきて、目を通す、というものだから、情報としては必ずしも最新というものではない。時には20~30年前の本に手を出して読んでいることもしばしばだ。
この本は、2005年3月発行(原書2004)だから、その中にあっても比較的、あたらしい書物と言えるが、ドッグイアーと言われる技術革新の世界のこと、ほんの数年でも情報として陳腐になってしまったのだろうか、と思った。しかし、読み進めてみると、次第にその奥行きの深さがわかってきた。特に遺伝子工学などに触れた部分を読み始めたときは、これは、このブログ上のあたらしいカテゴリが必要かな、とさえ思った。
セレンディピティという言葉は、予期せぬ発見をもたらす幸運な偶然を表すものとして以前からよく使われている。これは、ホレス・ウォルポールという18世紀の英国人の小説家が造り出した言葉だが、もとは『セレンディップの三人の王子』という古いペルシアのおとぎ話が起源となっている(セレンディップは、現在のスリランカ)。そのおとぎ話は、主人公たちが世界を旅し、思いもかけないようなすばらしい発見をするというものだ。p4
この本は、現代の知的活動の広範囲について言及しているので、必ずしも特徴的にこの分野ということではないのだが、このブログで「シンギュラリティ」と対置的に考えている「マトリックス」というカテゴリについての足がかりを作ってくれているようである。
科学の歴史とは、自然を目の前にして人間がいかに小さい存在であるかということを人類が徐々に知る物語である。何世紀にもわたって、新たな発見がなされるたびに人間は宇宙の中心から遠ざかっていった。神の姿に似せて作られた存在から、最近になって進化したヒト科の動物であると考えられるようになったのである。その中で、動物や植物に備わる驚くべき能力の不思議さを知った。p192
まさに、既知→未知→不可知の途上にあると言える。この本は、まさにサブタイトルにあるように、未知の分野についての論述が多く、現在の情報工学や遺伝子工学の進化を踏まえながら、未知なる世界への挑戦について、多いに語る。
バイオテクノロジーはコンピュータとともに成長してきた科学である。遺伝子の配列とデータベースに記録された重要なデータを照合するという伝統的な方法は、初期の頃から確立されたものであった。このような活動は、バイオインフォマテッィクス(生命情報学・生体情報工学)と呼ばれるまったく新しい科学を生み出した。バイオインフォマティックスとは、分子生物学における情報の利用について理論研究や実験を行なう分野である。遺伝子の新しい配列を、関連するすべての配列と逐一比較していくことができるようになると、分子研究にまったく新しい次元が追加された。p228
かつて私達人類の探求というものは、ほとんどが宗教的な不可思議さで覆われていることが多かった。しかし、自己とはなにかという哲学的な探求がおこり、産業革命などを通じて科学的な目が、新しい発明品を生み出すことによって、不可思議な宗教的な世界がどんどん狭まれているように思われた時期もあった。現在、人類の知的な探求は、みずからの生命体としての「不思議」に挑戦しはじめている。
今や、子どもを持ちたい者はバイキング方式で精子を選ぶことができる。そこには、スポーツの有名選手やノーベル賞受賞者などの精子もある。だが、ヒトゲノムに関する構造と機能の知識が増えるにつれ、遺伝子工学により何が生み出されるか分からないという危険も増えてきた。当初から、胚の遺伝子検査についてはすでに多くの議論がなされている。つまり、胎児に異常がないかどうかを検査して確認できるということである。その意味はするところは、子供に異常があることを両親が知ると、中絶の道を選ぶかもしれないということだ。いつか、この倫理的な問題を完全に解決できるかもしれないが、ヒトの卵子や胚は、現在以上に選別され、遺伝子の強化を受けるかもしれない。p248
この部分は、まさにOshoの「受胎調節と遺伝子工学」についてのビジョンや言及を彷彿とさせる部分でもある。私には、にわかには何の判断もできない。しかし、このようなことがすでに可能になってきているということについて、古い「宗教的」倫理観で判断するのではなく、新しい「科学的」な実証的な判断が出来る時代が、そう遠くない時期にやってくるのではないか、と予想するのみである。
これまで、バーチャルリアリティを使ってコンピュータの中に現実の世界の一部を再現することがいかに有望であるかを見てきた。では、現実のシステム、たとえば地球そのものまでを、コンピュータの中に完全なモデルとして構築することが、どの程度実現可能なのであろうか。
(中略)現在のコンピュータのメモリ容量は、自然界のさまざまなシステムのサイズにほぼ匹敵するほどにまでなっている。たとえば、ヒトゲノムに含まれる全データも、多くの家庭で使われているコンピュータのハードディスクにも保存できるほどになっている。p279
最近のグーグル・アースなどのサービス提供のスタートを考えてみると、本当に地球全体をバーチャルにパソコンの中に見ることができる時代がやってくると思わわずにはいられない。また、もし、パソコンの中にヒトゲノムの全データを展開できるとしたら、シロート考えだが、それを操作してパソコンの中で生まれてくるべき子供の姿や成長過程をバーチャルに見ることができるに違いない。アニメや画像の自動生成ソフトを使えば可能だろう。あるいは、最新のロボット工学と連携したら、新しい生命体としてのサイボーグが生まれてくる、かも知れないのだ。
あえてこのような最新の、ともすれば思想錯誤にみちた意欲的な探求にも積極的な肯定観を持ち、未知なるものをどんどん既知なるものをしていく作業は限りなくつづくであろう。そして、さらにその向こうにある不可知なもの。この不可知なものについて探求や思索するのではなく、「瞑想」する、というところまでいけるかどうか、というのが、このブログに課せられた大きな使命である。