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カテゴリ:シンギュラリティ
「ロボットは心を持つか」 -サイバー意識論序説ー
喜多村直 共立出版 2000/11 工学の専門家が哲学の世界に切り込んでいくというスタイルの本書は、正直言って読解するのが難しい。テーマは非常に面白いが、工学と哲学における広範囲な知識を要求される。まして、発行されたのが2000年11月となっており、テーマから考えると、現在の2007年にいたるまでの経過の中で、さまざまな工学的&哲学的な進化があり、かならずしもアップデイトな話題になっていないのがおしい。 この著者の近書なら面白かろうとググッてみたが、どうやら寡作な研究家らしく、さらに遡ること5年、1995年に『人間と機械の共生』があることを確認したのみである。もし、近未来的にこの研究者が新たな書物を著すとしたら、注目に値すると思う。 『ロボットは心を持つか』というタイトルの割りには、極めて難解な抽象論を扱っている本である。むしろサブタイトルの「サイバー意識論序説」のほうがずばり内容を表している。デカルトの心身二元論に端を発する著者の遠大な試みは、哲学、心理学、神学、工学、社会学など学際領域への多岐にわたる言及が続くので、大学の講義などで数年間かけて学ぶ教科書としては面白かろう。しかし「序説」としては大いなる視点を与えてくれるだけで、必ずしも、科学として実証領域まで降りてきていないのが、おしいと言えばおしい。 著者もそこをわかっているので、200ページに渡る難解な論点を、「終章」として箇条書きにまとめている。その8つの箇条書きの結論の結論部分では、こう書いている。 ロボットは、人間の機能の延長として作られ、人間の機能や構造の一部を積極的に模倣して作られる。そのために、すべての人間機械論は論理的にトートロジーに陥る。一方、人間と機械の差異を素材の差異に還元する「反人間機械論」の主張はカテゴリミステイクに陥る。人間と機械は共進化するため、その差異は時代の技術に依存すると共に、機械を模範モデルとした人間理解は時代の技術に依存する。p198 結局は、あたりまえの結論ということができる。哲学が提起した「人間とはなにか」「私という意識とはなにか」「私とは誰か」といったテーマは、科学的技術的に証明され実証されるだろうが、技術が進化しないことには、人間とはなにかといった一連の哲学的テーマは解明されない、と言っているにすぎない。まさにトートロジーに陥っていると言える。 ここにおいては不可知なものの存在を予感させる素振りはあるものの、積極的に不可知なものを不可知として感知していこうという姿勢は、見られない。このブログにおいては、人間を取り巻く不可知な領域は無限大に広がっている、と想定する。そして、その領域において人類ははるか昔から哲学的な思索を続け、科学によって実証してきたとする。しかしながら、いまだに、圧倒的に不可知な部分がほとんどで、哲学が及ぶ範囲や、科学が到達した範囲など、ごくごく一部でしかない、という想定でいく。 なぜならば、不可知な部分がなく、ましてや未知なる部分に限界があるとすれば、いずれは哲学は終焉を迎えるのであり、科学もまた最終的にその進化を終えるということになってしまう。不可知な部分があればこそ、未知なるものの発見も続くわけだし、やがては既知なるものとして、我々人類は科学の生み出す豊かさを享受できるのである。 この本は、「シンギュラリティ」というカテゴリに分類するが、このブログにおいては、「マルチチュード」カテゴリに低通するテーマを抱えている。逆に、最近インターネット社会やオープンソース運動に共感を示しているマルチチュードの「哲学的」運動の潮流は、この本の提示するようなサイバー意識論へと、地下廊を通って、「シンギュラリティ」カテゴリへとやって来る可能性もある。 私のみるところ、「マルチチュード」にせよ「シンギュラリティ」にせよ、デカルト的心身二元論に端を発している限り、その人間理解には限界がかならずやってくるのである。では、それはどのように超えていくことができるのか、となれば不可知領域の「神秘性」をどのようにあつかっていくのか、にかかってくるだろう。本来このブログではそれを「アガルタ」カテゴリで扱おうと思っているのだが、まだ機は熟していない。 この本のテーマ「ロボットは心を持つか」について、心身二元論的言えば、ロボットはどこまでも進化して人間的な、より本質的な意味で人間的な身体をもつことになるだろうし、さらに人間の心理や意識も次第に解明されて、ソフトウエァのような形に置き換えられるものになるだろう。だから、将来的において、はるかに進化したハードウェアと、はるかに進化したソフトウェアが合体するということは有りうる。 そして、かつて人間の限界と思われていた行動や思考、たとえば超々長労働時間に耐えうるとか、遠大な計算を瞬時に処理してしまう、といったようないわゆるスーパーマン的な存在としては実現可能なのではないだろうか。その方向において、幾何級数的に進化しうると想定できる。でも、それは「人間」を超えたことにはならない。仮にいわゆる進化したロボットが「自立・自律」する存在になったとしても、人間を超えたということにはならないだろう。 なぜか。それはいずれは人類は不可知を受け入れざるを得ないからである。それはゼロの発見ともいえるし、無限大の発見ともいえる。その概念を受け入れないことには、ついには進化し続けることができなくなるからである。不可知な領域を受け入れながら、なお、未知なる探検と、既知なるものの実証をし続ける、そのこと総体を人間的活動ということになるからである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.04 21:30:04
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