「量子コンピュータとは何か」
ジョージ・ジョンソン 水谷淳・訳 2004/11 早川書房
量子コンピュータとは何か。この本を読み始めるまでは、このタイトルがそれほど重いテーマであるとは思わなかった。せいぜい、新幹線の速度が、リニアモーターカーの速度になる程度なのだろうと思っていた。400メートル・トラックを中学生が走るのか、オリンピック選手が走るのか、程度のイメージしかなかった。ところが違うようだ。そもそも、その400メートル・トラックそのものが問われている。二本の足で走る、という行為さえ、問い直されている。
インドなどを旅する時、いくつかの自前の錠前を持参する。そのいくつかはキーロック・チェーンだ。鍵をなくすと錠前をそもそも開けることができなくなる。ところがキーロックだと、鍵がないのだから、まったく開けることができなくなる、というリスクはなくなる。そのナンバーを忘れたとしても、なんとか開けることが可能だからだ。
仮に4桁の数字のキーロックだと、0-0-0-0から9-9-9-9までの10000個の数字を順番に並べてアームを引っ張れば、いつかは開くからだ。仮に一つの数字に5秒かかったとして50000秒。つまり834分、約14時間。ナンバーを覚えていれば一瞬であけることができるけれど、ナンバーを忘れた時でも、あるいは、まったく知らない他人でも、14時間あれば開けることが可能なのである。
非常なる時間の無駄遣いのようにも見えるが、現在のコンピュータがやっていることはこのようなことをすばやくやっているに過ぎない。たとえば、最近は減ったが、ケータイへのワンギリなどは、まったく当てずっぽうな番号にやたらにダイヤルするシステムを作っているだけなのだ。いくつかの数列がたまたまこちらの電話番号と一致する場合だけ、コールするということである。
たとえば、世界一のチェス王がスーパーコンピュータと対戦して負けた、ということだが、この場合のコンピュータも、実は、上のナンバーキーを開けるようなアルゴリズムを永遠とやっていて、その中の最善の方法を探して「次の一手」を打ち続けているに過ぎない。それをすばやくやっているので、対戦している「人間」にはあまりコンピュータが「思案」している風には見えない。
しかし、現在のコンピュータでは、ほとんど不可能な「問い」というものがあるらしい。たとえば、この宇宙開闢以来の100億年以上の時間をかけて、この太陽系の空間にびっしりとコンピュータを並べても、それでも解けない数式、というものがあるというのだ。ここまで、聴くと、ええええ、と思ってしまうが、意外とその問いは沢山あり、たとえば特殊な因数分解などは、現在のスーパーコンピュータなどでもほぼ「永遠」の時間がかかるという。
ところが、これが良いほうにも作用していて、実はこの「永遠」でもとけない数式を使って、私達の生活は「暗号化」されて守られているのだ。乱数などを発生させて、他者からほぼまったく読めないものにしているという。銀行の暗証番号、パソコンのセキュリティ、企業の企業秘密、などなど、我々の生活はすでに、暗号でいっぱいだ。暗号があるからこそ成り立っていると言っても過言ではない。
さぁ、そこで登場する量子コンピュータだが、これらの「暗号」を簡単に解いてしまうという。どんな暗号でも、ある法則性のあるアルゴリズムに支えられている。ところがこのアルゴリズムそのものを検知してしまうというのである。つまり、量子コンピュータが実用化されたら、現在のネット社会などいっぺんでひっくり返ってしまう。そもそも、現在のニュートン以来の古典的物理学に支えられた社会は成立しなくなるのだ。
つまりイメージとしては、上のナンバーキーなら、何にも覚えていなくても、手で握ってアームを引っ張ればすぐ抜けてしまう、というくらいの飛躍なのである。まさにクオンタム・リープ、量子的飛躍である。これはいつか読んだ「ウェブ進化論」の中でも紹介されていたファインマンの「諸君がこれまで見たことのある何ものにもにていないのである」という言葉を思い起こさずにはいられない。
幸いにして、というべきか、あるいは、人類の進化がいまだ至らずというべきか、まだこの量子コンピュータは実用化されていない。実用化は不可能だ、という証明される可能性はなくもない。しかしながら、神ではない人類ではあるが、量子コンピュータはいずれは実用化されるだろう。いや、それほど遠くない未来に実現されるはずだ。
私達が毎日つかっているGoogleも、私達は気づいていないが、そのシステムを支えるには、陰で数十万台のリナックスマシンが24時間365日稼動しつづけている。もし量子コンピュータが可能になれば、これが、たった一人でたった一台のコンピュータでできるようになるかもしれない。そのようなイメージさえしてしまう。そしてそれが誰にでもできるようになるということは、Googleのようなものが、無数にさらに増加していくということなのだ。
この本においては、その量子コンピュータに向かってどのような試みがおこなわれているのか、多数紹介されている。しかもふるっているのは、この本の最後は、アーサー・C・クラークの「天の向こう側」を紹介するところで終わっていることだ。この作品は1984出版の短編集に収められているようだが、ごく最近再刊もされたようだ。
続く