「アトランティスの暗号」 10万年前の失われた叡智を求めて コリン・ウィルソン 松田和也 2006/9 学習研究社 原書 Atlantis and the Kingdom 2006
原著も翻訳も2006年、まだ1年も経過していない本だから、この本は、コリン・ウィルソンのもっとも新しい著作と言ってもいいかもしれない。その彼の書物がアトランティスの名前を冠した本であることで、ちょっと安心した部分がある。彼がそのテーマを追っていない訳はないのであるが、あまりに広汎な知識を追い求めていく彼のこと、最近は、その「失われた叡智」というテーマから大きく外れていたら、ようやく目覚めてきた私の探究は、彼の古い文献をあさるだけに終始してしまう可能性があるからだ。
しかしながら、いくつかの問題点がある。私の現在の探究はレムリアである。古代の失われた叡智の探究が目的であっても、そこには、アトランティス、ムー、レムリア、その他、無数の名称で語られている古代文明の片鱗がある。そこのところに留意しながら、私の旅を続けなくてはならない。そして、もうひとつの問題点、それは「10万年前」という、数値的明示性にある。私は、このような何万年前という表現はいままで、ほとんど無視してきた。無視するというより、理解不能として放り投げてきたと言ってもいい。
NHKのプロデューサーである高間大介の「46億年 わたしたちの長き旅」 を読んだ時にも思ったのだが、もうこの「億年」という単位を使われた時、私の中で、理解しようとする知的入力装置が働くなっている。極端に言えば、それは紀元前であれば、あるいは記紀神話以前であれば、あるいは4000年、5000年以上前のことであれば、私は、あとはそれ以上どのくらい前でも、ある意味、もうどうでもいい。何万年という「科学的根拠」にはあまり信頼をおいていない。先年「旧石器捏造問題」というものがあった。私は足元の文化でもあるし、現地まで足を運んで遺跡を見学したこともある。しかし、それは、不正直な一部アマチュア研究家の悪質ないたずらであった。
私において、その年代やその根拠はあまり問題ではない。少なくとも、私たちが現在生きているこの大地に、以前から住んでいた人々がいたのであるし、また、私の中にある記憶には(あるいはイマジネーションである可能性はゼロではないが)、古代があるのだ。少なくとも、この人生ではない、別な人生、今知られている文明ではなくて、まったく別な文明の記憶があるのだ。これは普段の生活のなかでは押さえつけられ、表にでてくることはない。そのまま抑圧されて忘れ去れてしまう可能性もある。
しかし、その「記憶」は噴き出す。永遠に抑圧され続けることはない。必ず噴き出す。個人の狂気という形で、あるいは不可解な遺跡として、あるいは意味不明なインスピレーションとして。しかし、それは狂気とか不可解とか意味不明とか、言って片付けられるものだろうか。自らの言語にないからと言って、外国語が存在していないわけではないように、現代人の理解の枠外にあったとしても、それらが存在していなかった、と断定することはできない。いや、むしろその理解できないほうが、大きな流れの中では、より正統性をもっている可能性だってあるのだ。
コリン・ウィルソンは、この「アトランティスの暗号」の中で、その知的冒険をする。若くしてすでに体制的なアカディミズムに「アウトサイダー」として対峙してきた彼だからこそ、多いなる知的冒険を、多いなる挑戦者として突き進む。科学や文学、ファンタジー、さまざまな要素を絡ませながら、「10万年前」を証明しようとする。私にとっては、膨大な知識や情報は、ほんとうはあまり必要ではない。自らのわずかな量ではあるが、「確たる」ヴィジョン、それを裏打ちしてくれる、2.3の傍証があれば、それで足りるのである。自らのヴィジョンが、単なる個的な刹那的な妄想ではない、と思えればそれでいい。
七という数字は世界の神話、魔術、宗教に普遍的に見られる。ブルーワーの「英語故事成語大辞典」では、七は「秘儀の、あるいは聖なる数字」と定義されている。だがなぜ七はこれほど普遍的に神秘主義や魔術と関連させられているのだろうか? p255
この七という数字は一例だが、いろいろな痕跡は時空を超えて一貫性をもつことがある。それらをひとつひとつ丁寧に拾い上げていけば、この「アトランティスの暗号」のような大著が出来上がる。
ウォリントンは、ムー---もしくはレムリア---には、元来は十分な科学的根拠があったということを見いだした。1850年代、イギリスの動物学者P・L・スクレイターは、インドとオーストラリアという離れた土地の間に奇妙な動植物の類似があることに気づき、かつてはその間に両者を繋ぐ大陸があったが、その後水没したと考えた。これは今から5500万年前の始新世に存在したという。彼はこの大陸をレムリアと名づけた。なぜならこの失われた大陸の両岸に接していた土地には共通のキツネザル(レムール)が棲息していたからだ。p155
480ページの大冊でありながら、アトランティスとレムリアを峻別して語られているのは、この周辺の数ページだけである。だが、名前や時系的あてはめや、地理的検証は、本当のところいうと、私にとってはあまり重要ではない。「信じやすい」「おっちょこちょい」な奴、と自分が自分を侮蔑してしまうようなことがなければ、それで、いい、というところがある。
ただ、私はまだ、心から我がレムリア探究の結果には、納得はしていない。
<再読i>につづく