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カテゴリ:チェロキー
「カウボーイ」ビジュアル博物館(第45巻)世界各国のカウボーイの生活を観察しよう リリーフ・システムズ 1994/04 同朋舎 /角川書店同朋舎 同じビジュアル博物館の「アメリカ・インディアン」 もあるので、こちらの「カウボーイ」には、その異なる二つの立場の絡みもあるかな、と期待したが、少なくともこの本の中にはまったくない。 カウボーイとは何か? カウボーイは辺境の人たちだった。牛の飼育を始めたものの、野生の馬が走り回っていた大草原はどこも、定住地の安全も文明の快適さも得られない辺境の地であった。そこでカウボーイは生活し働いていた。独立自存の男たちを引きつけたこの牧童業は、勇気と忍耐を要するものだった。したがってカウボーイたちは自分は他の人々とはちがうと信じ、そのライフスタイルに誇りをもっていた。しかし行政当局や都市にすむ人たちも見方は必ずしもそうではなく、アメリカやアルゼンチンでは、カウボーイやガウチョといえば野蛮で危険な男たちと考えられた。しかし結局は、この2つの国でも、カウボーイの精神を高く評価するようになった。これが最も進んだのアメリカで、そこではカウボーイは”ワイルド・ウェスト(未開の西部)”という観念の上に築かれた神話の核心となった。ハリウッド映画によってこの神話は生き続けているが、西部劇のカウボーイ(カウガールも)が演じているのは架空の世界であって、現実の放牧場とはかけはなれている。 p6 予想はしていたが、ハリウッド映画の西部開拓は「架空の世界」と断じられと、むしろ心地よい。 カウボーイの仕事は辛く、給料は低く、将来に成功の見込みがあるわけでもなかった。アメリカのカウボーイは南部出身の人が多く、その他は東部や中西部、それにヨーロッパ(1880年代に外国からの投資が行なわれるようになってから)の出身者だった。その最盛期は1866年のテキサスの牛の大移動で始まり、1886~87年の牛の価格の暴落による開放放牧の崩壊、農民による土地の囲い込み、冬の悪天候などのため、20年後に終わった。 カナダでは、カウボーイの多くは1880年代に成長した大牧場で働いたが、ここでも農業が牧畜にとって代わるようになり、最終的には1907年の冬の荒天によって、古いかたちのカウボーイは見られなくなった。その後のカウボーイは、かたちの異なる新しい企業の従業員にすぎない。1885年まで、アメリカの新聞でカウボーイといえば、野卑で飲んだくれのならずものという不当な評価を与えられ、さげすまされていた。しかし、やがて消えていく彼らの生き方はロマンチックなものと見られるようになり、カウボーイは国民のヒーローになった。作家や画家は郷愁を込めて、工業化されたアメリカでは失われてしまった精神と考えられるカウボーイの勇敢さ、自立心、個人主義を誉め称えた。 p18 アメリカ・インディアンにしてもチベット密教にしても「やがて消えていくロマンチックなもの」として誉め称えられているだけなのだろうか。 アメリカの畜産ブームのピーク(1866~1887年)が比較的短かったこともあり、カウボーイの多くは若者だった。イギリス系アメリカ人も多かったが、メキシコ系、アフリカ系アメリカ人やアメリカ先住民の重要性は忘れられがちだ。牛の群れを追って旅をしたり、放牧場で馬を走らせていたカウボーイは、せいぜい3万5000人くらいだったろう。 p7 カウボーイの最盛期は短い。1876年という時代設定してあるジョン・ウェイン主演「黄色いリボン」などは、まさに、この最盛期のまっただ中ということになる。また、アメリカ先住民自身がカウボーイをしていたという想定は、私にとっては耳新しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.11 12:11:25
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