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カテゴリ:シンギュラリタリアン
「パソコン少年のコスモロジー」 奥野卓司 1990/06 筑摩書房 単行本 202p No.814★★★★★ いつも行く図書館の予約システムがかわり、自宅パソコンで地域の図書館数十を一度に検索し、在庫を確認できればパソコンから予約を入れて、数日後に受取可能となったら、自転車で最寄の図書館に借りに行く、と言う方法になった。はっきり言って、とても便利だ。数週間前は、もう図書館利用を当分休もうかな、と思っていたのに、このシステムができたので、私の読書はもうすこし続くことになりそうだ。 このシステム利用の第一冊目で私の手に届いたのが、この本であったというのは象徴的だ。先日、偶然に読んだ奥野卓司の著書として、「事実上これが『処女』作」あとがきp195となる。手に取った私にとっては、なんだかとても懐かしい感じがした。ひょっとすると、私の蔵書の中にこの一冊がまじっていたかもしれない。なんにせよ、発行が1990年である。内容的には陳腐なものになっていておかしくないはずなのだが、現在の私が読んでも、なんの違和感もなく、むしろ新鮮な驚きさえ感じた。 この本カテゴリとして「2ndライフ」に入れようか、「マーケットプレイス」にいれようかとちょっと迷ったが、「シンギュラリタリアン」に入れることにした。いや、文化人類学という意味では「チェロキー」に入れようか、と、さえ思ったほど、多様な要素を含んだ内容だった。パソコン少年、というとっつきやすいタイトルだったり、著者の一人称が「ぼく」であったりすることで、決してゴマかされてはいけない。内容は結構ヘビーだ。 これらすべてを含んだ意味でパソコン少年が、近未来にパソコン・ネットワークを介して、さまざまな遊びを開発し、意図してのことではないにせよ、それが単に個人的な趣味をこえていった時、情報社会全体の根本的な変容につながっていくと、ぼくは考えるからだ。p16 いわゆるパソコン少年という言葉からイメージする人間像は、時代性や文脈の中では一定ではないが、なんせこの本がでたのは1990年である。ワープロ専用機が横行し、パソコンの普及すら微々たる時代であり、もちろんインターネットもなく、ハードもソフトもまだまだ高価な時代であった。この時代に、著者が「情報社会全体の根本的な変容」へと思い巡らしたのは、かならずしも独創的なものではなかったにせよ、確信をもって自らの世界観に取り込むことは難しかったに違いない。まぁ、まだまだ夢のお話しであったということだ。思えば、このパソコン少年たち群像の中からリーナス・トーバルスがでてくるのさえ、これから数年経過してからのことだった。 この本、パソコン少年というキーワードで引っ張るのは前半が中心で、後半は、バーチャルリアリティや脳科学、情報メディア、瞑想コミューンなどについての言及があり、当時の先見性のある認識としても資料性が高いのではないだろうか。あるいは、このあたりが後年の著者の論説につながってくるものと思われる。 この本の最後で「永遠のパソコン少年」たちに感謝が捧げられている。著者自身がパソコン少年のはしりであったといいつつ、パソコン少年というキーワードに込められた意味は、かつての「ぼくの紙ヒコーキ」から、さらに、現在の「クールジャパン」に向かって増殖しながら持続されてきたはずだ。そして、これから未来に向けて、著者の論点はどこに向かっていくのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.23 08:25:36
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