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テーマ:人間とは何か(26)
カテゴリ:スピノザ
それにしても、マルキストのアントニオ・ネグリがなぜに、他の「哲学者」たちをさしおいて、繰り返しスピノザへと降りていくのかは、実はいまでも疑問のままだ。そして、また、ネグリ&ハートを震源地とする21世紀の「マルチチュード」たちの情報についても、あまり豊富とは言えない。あっても難解であったり、批判的であったり、否定的であったり、明るい展望のひらけた希望的な見解はほとんどない。 ソクラテス以前(フォアゾラクティカー)、ソクラテス以後~(哲学)、ニーチェ以後~(反哲学)と区別することは、図式的で分りやすく、哲学や「反」哲学とやらの世界に、より関心を持ちやすくなる。 いわゆる理性主義的な形而上学は、その末期になると次第に独断論の色お濃くしてゆきました(もっとも、通常は理性主義的形而上学に数え入れられるバロック期の哲学者スピノザやライプニッツをこんなかたちで片づけるわけにはいきません。彼らには、私がいま描いているような近代哲学の枠組に収まりきれないものがあります。p140 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.26 08:27:15
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