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「ハイデガーの思想」
木田元 1993/02 岩波書店 新書 240p
No.968★★★★☆
木田元の一連の「反哲学」ものを図書館でみつけたことが、当ブログがいきなり西洋哲学の世界へ突入するきっかけになった。いつかはそういう機会がめぐりめぐってきたのだろうし、あのままスピノザを放置していても、いつまでもスピノザのほうから近づいてきてくれるわけではない。こういう形で周囲から攻めていくのも悪くはないだろう。
木田は、ハイデガーを読みたくて哲学を学んだのであり、ハイデガーを20世紀最大の哲学者である、と見ている。しかし、その人格や行いに疑問なしとはしていない。やや二面的性格の部分もあったようだし、いちばんの生涯の汚点は「ナチズム」への協力であると見る。
Oshoは、ニーチェをヒトラーが誤用したことには、ニーチェ側にはなんの責任もないとしているが、ハイデガーがナチズムに協力したことは汚点というより、彼の哲学全体を否定する要因になっているようだ。戦争中に協力しただけでなく、戦後、数々のナチ犯罪が明らかになっても、ハイデガーが反省の色をみせなかったことに、多くの知識人を初めとする同時代人が強く批判した。
そのことを知っていて批判しつつも、なお、木田はハイデガーは20世紀最大の哲学者である、とする。まぁ、であるなら、「哲学」自体を全部否定してしまったほうが早いかもしれない。ナチズムについてはなかなか取り上げにくい。当ブログでもいつかは取り上げてみたい、と思っているが、これがただごとではない。簡単に善悪だけでなく、事実を直視する勇気が必要になるし、ナチズムを批判したつもりが、返す刀で、他の政治や宗教、民族、暴力などを再検討しなければならなくなるからだ。
本書においては、ハイデガーだけではなく、ウィトゲンシュタインやニーチェのほかに、プラトンやアリストレスなどの古代ギリシャ哲学にも関連を求めている。当ブログにおいては、なにはともあれ、あちこちふらふらしていたら、「犬もあるけば棒にあたる」的ラッキーな出会いがあるかも、という物欲しそうな顔がまだまだ続きそうだ。
ひとつ考えたことだが、いわゆる哲学というものは、とくに近代・現代では、大学などの場で展開されることが多いようだ。私が一番違和感を感じる部分なのだが、思えば、Oshoも大学の哲学教授ではなかったのか。であるなら、Oshoの大学話も役に立つかな、と思い始めた。「狂人ノート」、「私が愛した本」とともに、歯科椅子三部作(笑気ガス三部作、という悪口もあるが)の一つに、Osho自らが自分を語った「ゴールデン・チャイルドフッド」があった。そのうち、この本から、哲学の学生時代や教授時代のエピソードをピックアップするのも面白いかなと思った。