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カテゴリ:アンソロポロジー
親鸞については、当ブログが経過してくるプロセスの中では、幾度となく遭遇してきたのだが、どうもタイミングを計りかね、後回しになっている。特に現在は、禅、あるいはZenに向かう途上にあるので、親鸞は、まだまだ後回しになる気配だ。 もうだいぶ昔の話だが、70年代の文化が花咲こうしていた頃、フォークソングは「使用前」、ロックは「使用中」、演歌は「使用後」、というジョークのような笑い話があった。その笑い話の例えがあっているかどうかはともかくとして、当ブログでいえば、フィンドホーンのようなニューエイジを「使用前」、OshoのようなZenを「使用中」とするなら、私から見れば、親鸞や浄土宗、浄土真宗は、どうしても「使用後」と思えてしまうのである。ちょっと、演歌っぽい。
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Last updated
2008.03.08 11:50:15
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