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カテゴリ:アンソロポロジー
前よりつづく これらの中で、あとで再読してみようかなと思うとすれば、「ゴーイング・ウィズイン(チャクラと瞑想)」。訳者にしてみれば、「この本の訳出には今までになくつらい思いをしました」p298ということだから、ここで訳者カップルと私の嗜好性の違いが図らずも明確になったという感じがする。 それと、「カミーノ(魂の旅路)」のレムリアに関する部分。これとて、ここからなにかを学ぼうということではなくて、著者やその周辺がどのような認識をレムリアに持っているかのチェック程度の意味しかない。 ほかの全体的なストーリーは、もともとハリウッドの女優さんの自叙伝などなのだから、そのようなジャンルに私が興味をもつ時代がくれば、それはそれなりに面白そう。 思えば、オレゴンの後のOshoの身辺をマネジメントしたのは、マ・ハシヤをはじめとするハリウッド出身者が多かったとされる。80年代のアメリカ文化、とくにハリウッド方面からOshoを見た場合どう見えたのか、という一つの視点として、その立場を借りてみる価値はある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.12 10:08:54
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