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カテゴリ:アンソロポロジー
75年夏、全国叛文化グループ日本縦断キャラバンは、沖縄に始まり、北海道まで数か月をかけて到達した。その帰り足、私は「なまえのない新聞」のあぱっちとヒッチハイクで函館までもどってきた。そして連絡船を待つ間、近くの喫茶店「帰郷庵」で暇つぶしをしていた。その時、読んだのが、その「浮浪雲」第1巻だった。 家庭を持つことになったら、浮浪雲みたいな家庭を作って、新之助やお花ちゃんみたいな子供たちに囲まれて暮らしたいと思った。奥さんは、まぁ、カメさんもかわいいなぁ、と思っていた。 その後、10年近く経過して、実際に子供たちが生まれて、休日には焼酎を片手に「浮浪雲」を読むのが、最大の息抜きになった。子どもたちが、中学校に上がるまでの10年間、私の家庭経営(笑)と子育て(自分育て、かな)のお手本は、やっぱり「浮浪雲」だったような気がする。 でも、今世紀になってから、私は思い立ったように、この「浮浪雲」をビニールひもで縛って封印した。中学生以上になった子供たちの進路を考えると、浮浪雲のようにはいかなくなった。 町内会、おやじの会、PTA活動も中学校、高校とかかわった。その間、会長職も4年間やった。PTAらしく、それらしい行動も求められたし、子供たちの前では、「浮浪雲」にはなれなかった。その後、私はどんな教育をし、どんな自分育てをしたのか、忘れてしまったが、それこそ無我夢中で過ごしてきた。浮浪雲と出会ってからの33年間、あっと言う間だった。 今日、久し振りに書店でこの本に出会って、「浮浪雲」を読んだ。懐かしい世界がそこにあった。とても懐かしかった。小沢一郎の選ですか・・・。この10選は、私がこのシリーズを封印したあとの作品から選ばれているようだった。 でも、こころは動いたが、私は、やっぱり我が家の「浮浪雲」のビニールひもは解かないでおこうと思う。35年間も、適塾に通っている新之介とは、いったい誰か。いまだに庭を駆け回っているお花ちゃんとはいったい誰か。 私は、当面「浮浪雲」の封印は解かないだろう。この10年間、「浮浪雲」と私をはっきりと隔離したのは、インターネットだ。「こち亀」(こちら葛飾区亀有公園前派出所 )などもよく読んだが、最近はどうか知らないが、ITやネット情報などが取り上げられていて、なかなか面白かった。 ところが、どうも「浮浪雲」の世界とインターネットは、相性が悪いのではないか、と感じる。あの時代設定の中で、成長の止まった登場人物たちの世界に耽溺することは、なんとも快適だ。ある意味、読みきりサザエさんの世界だ。「浮浪雲」は決して四コマ漫画では表現できない世界だが、9.11や通り魔事件が多発する21世紀には似合わないのではないか。一発の清涼剤にはなるかもしれないが、お手本やバイブルにはならないと思う。つまり、21世紀の悟りは、浮浪雲型ではない、と、私は感ずるに至った。
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