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カテゴリ:アンソロポロジー
高校二年生の秋、昼休みが終わり、東大出の英語教師が教室に入り、起立、礼、着席のあと、やおら、英語でスピーチをはじめた。いつも教師の話などまともに聞いていない私は、よく聞きいていなかった。ところが、一部の生徒たちから怒涛のような声があがった。ナニナニ・・・、私もそば耳を立てて聞いてみた。 三島由紀夫が自殺したらしい。しかも切腹だ。 事件の仔細はわからなかった。しかし、昼休みの職員室のテレビで流れていただろうニュースは、一瞬にして学校全体に伝わった。忘れもしない1970年、昭和45年11月25日午後。それからまもなく、教師は通常の授業に戻ったのだが、私の頭の中では、三島由紀夫のことがぐるぐる回り始めていた。 放課後、当時新聞部員だった私は、創価学会の子弟のたまり場になってしまっている新聞部部室にはいかず、ちょっと薄汚れた美術部のとなりにあった社研(社会主義研究愛好会)の部室に行った。訳知りな三年生たちの話を聞きながら、それでも頭の中でぐるぐるなにかが回っていた。 当時すでに自らはサヨク人間の意識があったから、三島がいわゆるウヨク的立場にいたことはわかっていた。好きか嫌いか、と言えば、嫌いだった。せっかく制服自由化闘争委員を買ってでて、詰襟の制服をやめさせたばっかりだったのに、盾の会などの制服には、生理的な拒否感があった。 学校をでて、自転車でギーコギーコ帰路についても、頭の中では三島由紀夫のことがぐるぐる回っていた。よくわからなかった。当時、三島の「仮面の告白」や「金閣寺」は読んでいた。でも、事件の実態が次第にわかるにつれて、ますますわからないことが増え続けた。 今回、平凡パンチや椎根和つながりで、三島由紀夫について読んでしまった。正直言っていまだに私には三島由紀夫は「わからない」。あの日、学校から自転車を踏みながら、ひとりで考えて、なんだろうなぁ、と感じたまま、あのまま40年近く、私はペダルを踏み続けている。 この本は、「平凡パンチ」という視座を借りた、編集者にして批評家・椎根和の立場から、三島由紀夫が語られる。私はまともに三島論というものを読んだことはないけれど、この本は、すぐれて現代的な三島論なのではないだろうか。剣道においては、著者は三島の弟子になる。しかし、編集者としては、「面白い」記事を書くために、三島をあちこちからいじくりまわす。 横尾忠則の絵を最大限評価していた三島。私は横尾は大好きなので、直接サインしてもらった画集をいまでも大切にしているし、高校を卒業して、すぐ世田谷の横尾の自宅アトリエを訪問したことを、今だに手柄話にしている。 私は直接には三島を直視することはできない。しかし、何かを、誰かを介在することによって、三島が見えてくるような感じがする。同じ月を見ていても、三島は、私がみている月ではなく、反対側からの月を見ているかのようだ。 この本をきっかけに一気に三島の世界に入っていこうなどとは、とても思わない。だが、こと、この問題については、あの日、ちょっと暑かった晩秋の帰り道のまま、私は帰り道の自転車のペダルを、いまだにこぎ続けている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.29 21:01:10
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