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テーマ:京都。(6067)
カテゴリ:アンソロポロジー
「西行」 全集や雑誌、あるいは、一度単行本ででたものがのちに文庫化したり、ということもあるからだろうが、つながりのつながり、ということで行きがかりで読み進めるには、ちょっとこちらの旅じたくができていない。彼女を読み進めるには、一度フンドシを締め直さないといけない。ちなみに、Wikipediaで検索すると、彼女についての紹介のなかに、こんな一節があった。 朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置て 十数年前から----正確にいえば「明恵上人」を書いた頃から、私が暖めていた西行のイメージとは、これがまたとりとめのなにもので、近頃はやりのアイディンティティなるものを、どこに求めていいか皆目見当がつかなった。彼は空気のように自由で、無色透明な人物なのである。したがって、とらえどころがないばかりか、多くの謎に満ちている。p247「後記」 学者でもなく小説家でもない。古美術愛好家やエッセイストなどという肩書でもなく、ひとりの旅人として旅をつづける彼女には、肩書や立場が代弁することができない、ひとりの人間が真摯にいきようとする自由人の姿をみる思いがする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.08.21 13:43:15
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