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テーマ:中国&台湾(3302)
カテゴリ:アンソロポロジー
もともと涙腺はゆるいほうだが、最近とみに目がかすむことが多くなった。ゆうべもまた老眼鏡を何回も外しては目を拭き、拭いては老眼鏡をかけ直してテレビを見続けた。 さあ、ソフトボールのこの活躍では、日本の星野野球もウロウロしていられませんよ。ダルビッシュも田中マー君も、地元つながりで、自然に応援してしまっているが、さて、今晩の韓国戦やいかに。 おなじ地元つながりでも、卓球の福原愛ちゃんは、すでにオリンピックでの成績はこれで固まったのかな。まぁまぁ、まだ19歳、ロンドンもあるし、次なる東京もあるかも・・・・・・ などといいつつ、なにはともあれ、世界の祭典、北京オリンピックの話題に乗ってみている。あの、気持ちが悪くなるような開会式の過剰な演出には目をつぶって、枕もとにたまっていくチベット(中国)本も後回しにしてきたが、さぁ、閉会式も近づいてきて、いよいよ、この問題にも本格的メスが入る時期に来ているのではないだろうか。 ペマ・ギャルポの本は、当ブログでも何冊も読んできており、これらの本に対する態度は今後も急にかわるものではない。引き続き、目をみはり、何が起きているのか注意深く意識を向けていくつもりだ。 そのような基本的な態度を前提として考えるのだが、さて、今年6月に緊急発行されたこの新書本のセンセーショナルなタイトルと、その姿勢は、私は必ずしもよしとはしない。「中国」が隠し続けているのは本当だとしても、もう隠し続けることはできない時代になってきている。「チベットの真実」というけれど、無批判的にこの「真実」という言葉にも軽く同調することも、実はできない。 「仏教文化」が消滅したのは、すでにインドでは事実であるし、いつかは「消滅」する可能性はある。チベット「民族」が消滅してしまうというのは、由々しき問題であるが、消滅の危機に瀕しているのは、チベット地方に住む「民族」だけではない。 北米大陸に住んできた「民族」もそうであろうし、極東の孤島列島の北辺に住んできた「民族」にも、変わらぬシンパシーを送る必要がある。アジア、ロシア大陸、南半球、アフリカ大陸においても、「民族」というカテゴリで地球上で地球人たちが現在抱えている問題を拾っていこうとするなら、かならずしも「チベット問題」だけを強調するのは、当ブログの姿勢とは合致しない。 初めて「チベット問題」に触れる人、あるいは私のような曖昧にしか問題をとらえてこなかった人間にとっては、このような身近に感じることができる新書で、その「問題」の在りかを再確認する必要は大いにあるが、いわゆる「チベット」問題を、政治的側面からばかり強調した形でとらえるのは、はっきり言ってどうかと思う。 「序章 北京オリンピックとチベット騒乱」 「第一章 チベット問題とは何か」に続いて、「第二章 ダライ・ラマ----転生活仏というシステム」が展開されているが、正直言って、わずか24ページしか分けられていないこの問題は、本当は、もっともっと重要なテーマだと私は思う。そして、それは「政治的」側面からばかり考えられたら、ものごとがめちゃくちゃになってしまうと思う。 もちろん中国人側からも、チベット人の側からも、さまざまなアプローチがあるのであるが、ことこの問題が「民族」問題としてより強調されるのであれば、中国人でもないし、チベット人でもない私としては、どちらにも肩入れする気は本当はない。 地球人としてなら、同じ地球に住む、同じ地球人の一人としてなら、チベット地域にすむ地球人たちと大いにつながりたいと思うし、中国大陸にすむ地球人に対して、すこし戒めのメッセージも送ってみたい。 政治の力学の中で、どちらに応援しようと、結局は、そのパワー・トリップの中で巻き込まれてしまって、何がなにやらわからなくなる体験は、いままで何度もしてきた。 「第三章 中国はなぜチベットを欲しがるのか」 青蔵鉄道や森林資源、地下資源、利権や欲徳のうずまく怒涛のような人間界を、いまさら疎んでみてもしかたないが、この本の中で「チベット問題」を解決することは私にはできない。 外側にある「チベット問題」には、ある意味、人間個人としては、手のつけようのない憤りと無力感を感じてきた。しかし、当ブログとしては、「チベット問題」を外側の政治や経済の話題として片付けたくはない。それが可能かどうかは定かではないが、当ブログとしての「チベット問題」は「内側」の問題だ。まずはそうとらえておきたい。でなければ、この「問題」は手にあまる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.08.22 08:14:51
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