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テーマ:ウォーキング(4407)
カテゴリ:★『井原線ウォークのひとこま』
3月4日にJRサンデーウォークで
『高梁ウォーク』を行います。よろしく。 参考資料を再編集して紹介します。 『藩政支えた聖人しのぶ ・・・備中高梁山田方谷歴史コース』 (2006/01/29 中国新聞冬編に連載したものです) 尼子、毛利、豊臣、徳川と支配体制は変わりながら も、幕末まで備中の中心地として栄えた高梁は、今 なお江戸時代の町並みを残す小京都です。前半は幕末 の陽明学者、山田方谷(ほうこく)(1805~77 年)の足跡を中心に、歴史をたどってみます。 高梁駅を出て城見通りを進むと、前方の臥牛山のて っぺんに小さく備中松山城を見つけることができます。 間もなく集合場所の総合福祉センターに到着。 すぐ前の郷土資料館をのぞいて、いざ歴史コースに 出発です。 まずは松山城主板倉家の菩提寺である安正寺です。幕末 の城主板倉勝静(かつきよ)は大政奉還の立役者でした。 勝静に仕えた備中聖人こと山田方谷は、財政再建など藩政 改革を断行しました。この成功は全国に伝わり、結果的に 明治維新をもたらしたようです。 踏切を渡ると頼久寺。足利尊氏の命で全国に建てられた 安国寺の一つで、後に松山城主となった上野頼久が再興し ました。境内には徳川幕府の備中国奉行、小堀遠州が設計 した枯れ山水の庭園があります。愛宕山を借景に奥行きが ある見事な庭で、国の名勝となっています。寺の脇には方谷 の寓居(ぐうきょ)がありましたが、今ある廃屋は後のもの です。 石火矢町ふるさと村で武家屋敷(旧折井家・旧埴原家) を見学します。ここの古い地図を見ると、現在の高梁市中 心部の北半分が城下町だったことが分かります。 山すそにはお寺が列座して、いざ合戦となれば、砦(と りで)として機能していたようです。守りの工夫は、今な お残る鍵の手状の道にも見られます。城下町の風情は、 便利さより歴史を大切にした行政のたまものです。 小川の上流には中洲公園、その先には松山城があります が、本日は小川を渡って御根小屋御殿跡へ。現在は高梁高 となっていますが、正面の階段が当時をしのばせます。 松山城は山頂にあったため、政務はここで行われていたと か。その先の八重籬(やえがき)神社は板倉氏の氏神さま です。 戻って商家資料館。豪商、池上家の邸宅です。備中の動 脈、高梁川を航行した高瀬舟の船主でした。 紺屋川沿いの道は「日本の道百選」に選ばれています。 ここに山田方谷が学頭を務めた藩校「有終館」がありまし た。今は幼稚園となっていて、正面に石碑があります。 本日はここまで。次回は後半、映画ロケ地を巡ります。 (井原線まちおこしネット代表・岡田正樹) ※これは「2006/01/29」の中国新聞井笠おかやま版 ほのぼの岡田さんの井原線ウオーク冬編第4弾」 の連載を修正加筆したものです。・・・ではまた ※3月4日にJRサンデーウォークで 『高梁ウォーク』を行います。 今回は備中松山城もコースに入ってます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.01.29 16:16:36
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