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蚤とダイエット

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2008.09.10
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カテゴリ:ご飯パワー
1954(昭和29)年12月7日に内閣総辞職。翌日、吉田茂は自由党総裁を辞任。
PL480法案が妥結し、帰国してからわずか三週間のことでありました。
新たに鳩山一郎内閣が誕生しました。農林大臣には河野一朗。
そうして第二回の余剰農産物交渉が始まったのです。(1955年9月)
交渉団出発前に政府内部では以下のことが大筋で検討されていたという。

1.買い入れ総額は約7000万ドル(前回は8500万ドル)を要望。

2.買い入れ農産物のうち米(前回は1500万ドル)、
 葉タバコ(前回は500万ドル)は今回は不要。
 その代わり大豆、トウモロコシ、綿実などの購入を希望する。

3.総額のうちの半分以上を農業関係に使うことを認めて、
 自主的に使わせて欲しい。(前回農業関係に使えた額は、
 日本側取り分214億2千万円のうちの30億円)

米、葉タバコはいらないから、大豆、トウモロコシ、綿実を希望した、
ということは、どういうことかというと?
大豆、トウモロコシ、綿実はいずれも油の原料なのですね。
そして大豆の絞り粕は家畜の飼料になる。
さらにトウモロコシはそのまま飼料にもなる。

買い付け総額の取り分は日本側の思惑通りに行かなかったけれど、
それでも日本側の取り分は75%で4935万ドル、ということだった。
その半分は農業関係で使う。
残りは愛知用水などの継続事業や漁港整備、肥料、甜菜工場などに
使った、ということです。
これが日本の戦後の復興に果たした役割は大きかったという。
しかし、それ以上に大きな犠牲もあったのですね。

同時にそれが日本人の食生活を変えなければならなかった、ということです。

最後に参考文献から引用しますね?(太字が引用)

アメリカ農産物を受け入れることで多額の復興資金を得ることに
主眼を置いた政府の方針によって、日本の農業も食生活もこの時期から
大きく転換した。その後米の豊作が続いた時期でも、小麦の輸入は
増加する一方であった。米離れが加速され、小麦粉食による
食生活の変化は急激に起こっていった。
日本の小麦生産農家は減少の一途を辿った。


では、小麦粉を日本人に食べさせるために、政府はどんなことを
行ったのでしょうか?それについては次回にね?

【参考文献】
「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活

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Last updated  2008.09.10 22:04:59
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