テーマ:不正選挙(51)
カテゴリ:裏社会の闇を暴け
僕は佐木隆三氏の作品を読んだことはありません。 以下の記事で、興味あることがあったので転載します。 刑事事件や、その裁判を題材にしたノンフィクションなどで知られる直木賞作家、佐木隆三(さき・りゅうぞう)氏(本名・小先良三=こさき・りょうぞう)が10月31日午前8時40分、下咽頭がんのため、北九州市の病院で死去した。78歳。自らの仕事を「裁判傍聴業」と称し、裁判傍聴による取材メモを基に、数々の作品を生み出した。一般傍聴人の法廷内メモ取りを可能にするよう闘い、道を開くきっかけをつくった功績でも知られる。 裁判の傍聴を通じた取材メモを基に凶悪事件の真相に迫り、多くの作品を生み出した社会派作家が、この世を去った。 佐木さんは朝鮮半島生まれ。高校卒業後、八幡製鉄(現新日鉄住金)に入社した。同人誌に小説を書き始め、63年に製鉄会社を舞台にした「ジャンケンポン協定」で、新日本文学賞を受賞。64年に退社した後は、文筆活動に専念した。 5人が殺害された実際の連続殺人事件をテーマにした長編小説「復讐(ふくしゅう)するは我にあり」で76年、直木賞を受賞。79年には今村昌平監督、緒形拳さん主演の映画で公開され、佐木氏の名を世間に広めた。沖縄の暴力団抗争を描いた「海燕ジョーの奇跡」も、時任三郎主演で映画化された。事件だけでなく、田中角栄元首相や元プロボクサー具志堅用高氏など、テーマは広かった。 88~89年に東京、埼玉で起きた連続幼女誘拐殺人事件、オウム真理教の地下鉄サリン事件など、昭和、平成史に残る事件の裁判を、継続して傍聴。膨大な裁判記録から、事件の背景や犯行心理を詳細に分析した。自著では、「裁判傍聴業」と名乗った。89年に、それまで法廷で禁じられていた一般傍聴人のメモ取りが「解禁」された際、そのきっかけの1つとなった裁判を起こしたことでも知られる。 99年に活動の拠点を北九州市に移した後は、2006年11月から12年3月まで、市立文学館の館長を務め、子どもたちにルポルタージュの書き方を教える教室を開いた。広島原爆で、爆心地から約50キロ離れた広島県小田村(現・安芸高田市)で立ち上るきのこ雲を目撃した戦争体験から、反戦活動にも力を入れた。 自宅は北九州市門司区元清滝8の15。今日2日に、近親者のみで葬儀・告別式を行う。喪主は、長男小先隆三(こさき・りゅうぞう)氏。後日、お別れの会が開かれる予定だ。 ◆佐木隆三(さき・りゅうぞう)1937年(昭12)朝鮮半島生まれ。福岡県立八幡中央高を卒業後、八幡製鉄所に入社。63年「ジャンケンポン協定」で新日本文学賞を受け、64年退社。文筆活動に専念し、76年、実際の連続殺人事件を基にした「復讐するは我にあり」で直木賞を受賞。刑事事件、裁判を題材にした小説も多数発表。2012年から北九州市立文学館名誉館長を務めていた。 http://www.nikkansports.com/general/news/1560714.html >一般傍聴人の法廷内メモ取りを可能にするよう闘い、 >道を開くきっかけをつくった功績でも知られる。 なるほど、そうだったのですか。 以前は厳しかったようですね。 でもね、今や、そんなに厳しいことはありません。 裁判の録音、カメラ撮影、ビデオ録画は自由にできますから。 そして、その画像や動画をウェブサイトや動画サイトに アップすることもオッケーですから。 ただしYouTubeでは削除されたりしますから、 それ以外の動画サイトがいいですね。 あ、それから裁判長を罵ることもオッケーですから。 以上のことは実際に起こったことなのです。 しかし、メディアは一切報道しませんでした。 なんででしょうね? それを実証する動画は以下です。 東京高裁の不正選挙訴訟 法廷大混乱 不正選挙007_ 裁判所も腐ってる東京高裁102号裁判 クリックしてくださると嬉しゅうございます。 人気blogランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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