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2009.10.23
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カテゴリ:江戸時代を知る
 『耳嚢(上)』から、印象に残った話を現代語訳で紹介する。

 江戸山王永田町あたりのこととか、あるいは赤坂・芝ともいって場所は定かではないが、御三卿に勤めていた人だそうで、名字は分からないが、清左衛門と名乗る人だそうだ。どういうわけか小蛇を飼い、夫婦とも寵愛して、箱に入れ、縁の下において食事を与え、天明二年まで十一年飼っていたが、だんだん成長してことのほか大きくなって見るもすさまじかったが、愛する心によって夫婦ともに朝夕の食事の時も、床をたたけば縁の上に頭を上げるので、自分の箸で食事などを与えていたそうだ。家僕の男女もはじめは恐れおののいていたが、慣れるに従って恐れもせず、
「縁遠い女などはこの蛇に願いなさい」
などと夫婦の言うに任せて、食事などを与えて祈ると、利益というわけではないだろうが、その願いが叶うこともあったそうだ。しかるに、天明二年三月に大嵐があったが、その朝もいつものように呼んで食事などを与えていたが、縁の上へ上がって何かはなはだ苦しんでいる様子なので、
「いかがいたした」
と、夫婦もねんごろに介抱したが、雲が起こりしきりに雨が降り出すと、その蛇は縁先ではじめはうなだれていたが、頭を上げ空を眺め、やがて庭の上まで雲が降りてきたと思うと、縁から庭へ身を伸ばしたと見えたが、雨が強くなりやがて天に昇ったということだ。

 原文に「愛する心より」という表現がある。「愛する」は明治に入ってできた語かと思っていたが、そうではないらしい。

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Last updated  2009.10.24 08:06:18
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