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カテゴリ:江戸時代を知る
天明二年のことであったが、人が語った話。
あらめ橋のたもとで仕事をしていた雪駄直しがいた。往来の侍が雪駄を踏み切ったが、持ち合わせがないことに気づかず、雪駄を直させた上で懐中を見ると一銭もなく、家来はほかへ使いにやっているのではなはだ当惑し、その訳を雪駄直しの非人に断って、 「明日にも持ってくる」 と言ったが、その非人はもってのほか憤ってあれこれ言い、後には悪口雑言を並べたが、その侍が無念をこらえていろいろ申しなだめたが、そばにいた同職の非人が、中に入ってその侍に対し、 「同職の非人は甚だ不届きです。まことに御難儀なことでこざいます。彼へはいかようにも私がなだめて納めます、人も見ていますから、どうでしょう、早々お帰りなさっては」 と言ったところ、その侍はありがたいことと思い、 「その方の住まい小屋はいずれで、名前はなんと申す」 と訪ねたけれども、 「お礼などいただこうとは思いません。少しでも早くお帰りください」 とたって勧めたので、その侍もその意に任せ帰ったという。 そのそばに町人がいたが、一部始終を見て取り、 「そなたの小屋はどこか」 と尋ねると、 「鎌倉河岸あたりです」 と言ったので、 「それならば帰り道だ、少し頼みたいことがあるので一緒に帰ろう」 と言って同道し、途中で、 「そなたは生まれながらの非人には見えない」 と言うと、 「なるほど、生まれながらの非人ではございません。若気の心得違いからこのような身分になりました」 と答えた。 「それならば、そなたの今日の取り計らいは感ずるに余りある。用に立つ者だ、今の身分から引き出して召し抱えよう」 と言うと、 「近頃かたじけないお話ですが、その望みはございません。すべて橋詰めに出て雪駄直しなどいたします非人は、御武家方そのほかの方がお困りの歳は、代金にかかわらずお役にたつべきもので、非人としてはめずらしいことではございません。あの悪口雑言いたしました非人は者を知らぬ者で。また、武家方の難儀を見受けましたので、非人の私がよんどろこなく中に立ち、ことを納めたのでございます。しかし、お侍の身分ではさこそ無念にお思いででしょう。あなた様は終始様子をご覧になっていたのに、どうして中に立ってお侍の難儀をおたすけなさらなかったのですか。そのようなお心得の方に、今の身分から引き出されてお仕えするようなことは、望むところではございません」 と答えたので、その町人も赤面して帰ったという。非人ながらおそろしいものだ、と人が語った。 深く印象に残った話だ。 また、非人はなったり抜けたりすることができるものだということがはっきり書かれていることも興味深い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.07.27 00:00:14
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