ふじみ野市苗間 神明神社と薬師堂墓地の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちらふじみ野市の最終回は苗間になります。神明神社と薬師堂墓地の石仏を見てみましょう。苗間神明神社 ふじみ野市苗間373[地図]ふじみ野市駅の南を走る県道266号線を東入間警察のほうから東へ進み、大井陸橋で東武東上線を渡ると坂を下り切ったあたりで道は右へ急カーブする。このカーブのところに苗間神明神社がある。本殿の真裏あたりに境内社が並んでいて、その左端に小堂が立っていた。小堂の中には比較的こぶりな四基の石塔が並んでいる。右 勝軍地蔵菩薩像 宝暦5(1555)駒型の石塔の正面に錫杖と宝珠を持ち馬にまたがる地蔵菩薩坐像を浮き彫り。像の左脇に造立年月日。右下、足元の部分に常禪と見えるが願主だろうか?勝軍地蔵はいろいろなところで見かけるものの、やはり地蔵菩薩塔全体を考えるとかなり珍しいもので、先日見た慶珍塚通りの墓地の馬乗り馬頭観音と同様、この地域の石仏の中でも貴重なものと言えるだろう。その隣 弁財天 文政9(1826)塔の上部は風化のため崩れているが屋根付きだったか?石塔の正面を彫りくぼめた中に「辯財天」左側面は無銘。右側面に造立年月日が刻まれていた。続いて 菅原道真像 弘化4(1847)菅原道真=天神様を祀った神像。右側面に造立年月日。左側面に苗間村中と刻まれている。左端、弁財天 明和9(1772)隅丸角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、梵字「ソ」の下に「辯財天」両脇に造立年月日。枠の部分、右下に苗間村、左下に施主 個人名が刻まれていた。薬師堂墓地 ふじみ野市苗間377東[地図]神明神社のすぐ南の信号交差点から東に入るとすぐ、左右両側に墓地がある。左の北のほうの墓地のすぐ東に薬師堂が立っていて、こちらは薬師堂の墓地らしい。墓地の外、東のブロック塀の前に雨除けが設けられていて、中に石仏が並んでいた東向きに5基の石仏。左端、丸彫りの地蔵菩薩立像。像だけが残り、蓮台、石塔などを欠くため、造立年月日など詳細はまったくわからない。丸顔で柔和な表情。像に損傷は見られず状態は良い。その隣、やや小ぶりな丸彫りの地蔵菩薩立像。こちらも台などを欠き詳細は分からなかった。中央 石橋供養塔 宝暦5(1755)駒型の石塔の正面 梵字「ア」の下に「奉建立石橋四ヶ所」右脇に造立年月日。左脇に武刕入間郡川越領苗間村 爲二親菩提也 願主 清心。下部には 右五十日願以相勤□村とあり、勝瀬村、駒林村など六ヶ村の名前が並び最後には苗間村中と刻まれている。続いて二基の丸彫りの地蔵菩薩立像。こちらも銘がないが、いたって新しいものだった。像の様子から六地蔵として造立されたもののうちの二基ではないかと思われる。南向きに立つ庚申塔 天保9(1838)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。大きな欠損はないが、塔の表面は風化のためか彫りが丸くなっていて、細部はいま一つはっきりしない。四臂の持物は戟。法輪・弓・矢。合掌したショケラが髪をむんずとつかまれて吊るされていた。足元に大柄な邪鬼が無表情で背中を踏まれている。邪鬼の下の三猿は両脇が内を向く構図。塔の右側面に造立年月日。その下に此方 ふる市場ミち。左側面には入間郡願主苗間邑中。下部は銘が確認しにくい。このかた?(の)だけはっきり見えていてあとはあてずっぽう。続いてその横に「川越道」こちらはしっかり刻まれていた。最後に地蔵菩薩塔の石塔部残欠 天明2(1782)上部に突起が残っていて、地蔵菩薩像が乗っていたのではないだろうか。角柱型の石塔の正面「奉建立地蔵大菩薩」右脇に施主 苗間村中。左脇に爲先祖菩提。塔の右側面は隙間がなく未確認。左側面には武刕入間郡。奥に造立年月日が刻まれていた。さて、この石塔の上に乗っていた地蔵菩薩像は?もしかしたら、最初に見た二体の地蔵像のどちらかかもしれない。なんとも確かめようもないのだが、そんな想像をしてみるのも楽しい。以上で「ふじみ野市の石仏」を終了します。これでさいたま市の西のほうをひととおり回ることができました。次は東に移って、「草加市の石仏」を予定しています。準備が整ったらスタートしたいと思います。しばらくお待ちください。