見沼区の庚申塔その11
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら今日は見沼区の最終回、片柳の庚申塔を見てみましょう。片柳は庚申塔の宝庫と言っても過言ではないでしょう。細密な彫り、自由闊達な三猿など、ここは岩槻の石工さんの立派な作品が多く、できるだけ写真を多く載せて皆さんに見ていただきたいと思います。常泉寺入口路傍 見沼区片柳 常泉寺の山門に向かう細い道の右側路傍に庚申塔。文化7(1810)山型角柱 日月雲 青面金剛立像 剣ショケラ持ち六臂。塔の右側面に年号。左側面には 武州足立郡南部領片柳村。細部まで丁寧な彫り。青面金剛はちょっと右に視線を向けて立つ。腹部を踏みつけられてその足をつかむ邪鬼。頭を踏まれ身動きもできない邪鬼。なんとも個性的だ。その脇には二鶏を彫る。下の大きな台の正面に三猿。ハッピを着た猿たち。やはり非凡だ。三猿の彫られた台の両側面に願主として28名の名前を刻む。台の裏には林道町 石工武兵エ。文化年間に活躍した岩槻石工 田中武兵衛の作品。野ざらしになっているのは残念だ。大宮聖苑南切通し 見沼区片柳上の庚申塔の東300mほどの大宮聖苑の南の切通しの脇、雨除けの下に庚申塔。文化7(1810))山型角柱 日月雲 青面金剛立像 剣ショケラ持ち六臂。塔の右側面に年号。左側面には 武州足立郡南部領片柳村。上の庚申塔とまったく同じ構成。青面金剛はそれぞれの手、胸の筋肉、衣服など実に細かく表現されている。こちらの邪鬼も非凡。右の邪鬼は臀部を踏まれ、二匹とも本当に苦しそう。脇に彫られた二鶏も美しい。三猿の自由さ、動きのある表現にも驚く。ハッピを着た猿たちが踊っている。聞か猿は後ろ向きで頭が反り返っている。エネルギッシュな空間だ。こちらの台の側面にも願主28名の名前が刻まれている。台の裏、林道町 石工武兵エ。上の庚申塔とともになんとか保護してほしい。染谷新道交差点脇 見沼区片柳染谷新道交差点の西脇、県道214号線北側沿いに二基石塔が並んでいた。庚申塔 明和8(1771)青面金剛立像 剣ショケラ持ち六臂。右側面 年号の下、片柳村、願主27名の名前を刻む。大宮共立病院西路傍 見沼区片柳大宮共立病院の西の道を南に入りすぐ細い道を右に折れると小堂の中に庚申塔。寛政10(1798)笠付角柱 日月雲 青面金剛立像 剣ショケラ持ち六臂。腕に蛇が絡みつく。両足の間には虎の頭、その上に竜の姿が見える。塔の左側面 武州足立郡見沼領片柳村、右側面に年号。足元に二匹の邪鬼。その下に二鶏を配し、台の正面に三猿。充実している。万年寺 見沼区片柳万年寺の本堂の左の茂みの中に庚申塔。天明7(1787))笠付角柱 日月雲 青面金剛立像 剣ショケラ持ち六臂 。邪鬼・二鶏・三猿が揃う。右側面 「奉造立庚申供養塔」脇に年号。左側面 武州足立郡片柳村講中と刻む。その向かい側、墓地の前に大型の庚申塔。天保12(1841)笠付角柱 青面金剛立像 剣ショケラ持ち六臂 。頭のてっぺんから足の先まで、合掌したショケラの指の先まで、実に細かく丁寧に彫られている。塔の左側面には武州足立郡見沼領片柳村、右側面に年号を刻む。頭の真ん中にドクロ。剣・法輪を持つ手の先まで血が通っているかのようだ。腰には寅の頭と龍。合掌したショケラもリアルに表現されている。足元には二匹の邪鬼。狛犬のような顔。一匹は正面を向き、もう一匹は横を向く。下の台の正面にハッピを着た三猿。片手で口を抑えなにかを指さしている言わ猿、片耳だけ塞いだ聞か猿、寝そべっている見猿、自由奔放な猿たち。三猿が彫られた台の両側面には講中46名の名前が刻まれる。石工名は見られないが先の二つの庚申塔同様、岩槻石工田中武兵衛かその関係者の手によるものだろう。いずれにしても第一級の作品であることは間違いない。以上、この地域では6基の庚申塔がみつかりました。見沼区全体では65基になりました。