浦和区大東の石仏
今日は浦和区大東の石仏を紹介します。明圓寺 浦和区大東1-7[地図]産業道路の浦和領家郵便局のすぐ南の信号を東に入る。50mほど先で道は二つに分かれるが左の狭い道を進む。道なりに3,4分で明圓寺の門前に着く。門の左、塀の外にお地蔵様があった。子安地蔵菩薩坐像 明治26(1893)すがりつく子供の姿がかわいくもせつない。門を入ってすぐ左に万霊塔。中央付近に大日如来の笠付の塔が見える。大日如来塔 寛政5(1793)印を結んだ金剛界大日如来の坐像が彫られている。浦和区大東1-29路傍 [地図]神明神社の東100m程の路傍の小堂の中に庚申塔 寛政元年(1789)がある。庚申供養塔の文字の下に三猿が彫られている。独特の造形が面白い。大東北公園 浦和区大東3-17[地図]赤山道と1号線が交差する地点に大東北公園がある。公園内には富士塚があり頂上に笠付の石塔が立っているのが見える。頂上に登ってみる。フェンスに囲まれて立っているのは庚申塔 文化14(1817)青面金剛立像 合掌型六臂 彫りが細かくかなりリアルな表現である。髪を掴まれ合掌しているショケラ。なにか痛ましくさえ思えてくる。最下部。仰向けに腹部を踏みつけにされている邪鬼は青面金剛の足を抑え、必死に哀願しているかのようである。側面には領家村西組助成二十人、東組講中十八人、瀬ケ崎・山崎講中五人 八丁石工兼右衛門の名が刻まれる。「諸願成就、郷中安全」多くの人たちの願いが込められているのだろう。浦和区大東2-4路傍 [地図]木崎中学校の東の路地を北に向かって歩いて行くと三差路の角に四基の石仏が祀られているのが見える。一番右 庚申塔 宝永3(1706)笠付きの凝った彫りの文字塔である。念仏講供養塔 正徳元年(1711)地蔵菩薩坐像。左手を欠くが味があるお顔だ。百万遍供養塔 文政8(1825)善光寺式阿弥陀如来立像。中央に断裂跡が見える。最後は如意輪観音坐像 一部分を欠いているため残念ながら詳細は不明である。