草加の石仏 補遺
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら前回までで一応草加市全体を見て回りましたが、いくつか見落とし、気が付かなかった点がありました。ブナの森さんからいただいた情報をもとに「草加市の石仏」最終回をお届けします。天満宮 草加市長栄2-50-15[地図]綾瀬川近く、長栄中央公園南にある天満神社。二つの小堂が立ち、左の小堂には成田山道標、右の小堂には享保8年造立の青面金剛庚申塔と「國底立神」塔という見慣れない石塔が並んでいた。國底立神塔 明治(1870)こちらを取材したときには隣の庚申塔にばかり目が行って全く気が付かなかったのだが・・・塔の右側面「奉供養庚申青面金剛」左側面に宝暦6年の紀年銘が刻まれていた。どうやら宝暦6年の青面金剛庚申塔を削ってその上に「國底立神」と刻んだ改刻塔らしい。以前、越谷の大相模地区でも明治初年に庚申塔からの「改刻塞神塔」を多く見かけた。同じように明治初年、廃仏毀釈に伴って生まれた改刻塔なのだろう。正面を見てみるとうっすらと青面金剛の跡が見えるような気がする。さらに「神」の両脇に小さな二鶏がはっきりと確認できた。線刻された二鶏は削られずに残ったのだろう。台の正面も大きく削られた跡が見えるが、邪鬼、三猿の跡かどうかは確認できなかった。稲荷神社 草加市西町931[地図]国道4号線の花栗町交差点から東へ向かい、300mほど進むと道路右側に稲荷神社がある。両側に赤いのぼりの並ぶ参道の右脇に庚申塔が立っていた。この庚申塔は資料には記載がなく、教えていただくまでは私も全く知らなかった。庚申塔 造立年不明。駒型の石塔の正面日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。三眼どんぐりまなこの青面金剛。頭上には蛇がとぐろを巻く。ショケラが後ろ向きで足を折り曲げ青面金剛にすがる形は珍しい。像の右脇に武刕谷古田令立野村。左脇に庚申講中 拾九人と刻まれていた。足元はなかなか個性的。青面金剛の足の両脇には二鶏を半浮き彫り。邪鬼は肩と頭を踏まれているが、特に右足が強烈で首がねじ曲がっている。その下に一匹の猿。右手に御幣を掲げ持ち、右足を前に出し左足は深く曲げ、いまにも歩きだしそうな風情、動きのある構図が面白い。残念ながら紀年銘が見当たらない。四角い台は深く土に埋まっていて、もしかしたら台の正面や側面に銘が刻まれているのかもしれない。大楽寺墓苑東の民家入口 草加市柿木町314[地図]「草加の金石」によると柿木町の大楽寺墓苑のすぐ東の路傍に青面金剛庚申塔があるということだが、道路際にそれらしい石塔はなかなか見当たらない。あきらめかけていたところ、ブナの森さんから情報をいただいて見つけることができた。現場は大楽寺墓苑のすぐ東の交差点、南東の住宅の入口近く。こちらのお宅はまわりをぐるりと生け垣に囲まれていて中は見えず、生け垣の切れ目が入口になっていて、その入り口の左脇に隠れるように庚申塔は立っていた、このシチュエーションは「路傍」というより「宅地内」というべきだろう。庚申塔 文化14(1817)駒型の石塔の正面、日月雲は健在だが、その下の青面金剛像の部分は削られ?くぼみになっていて、わずかに右手に持った剣の跡だけが残っていた。二鶏・邪鬼・三猿も見当たらず、両側面に紀年銘があるだけで他に銘は確認できず、これを庚申塔とするのが妥当かどうか、難しいところだと思う。資料に「庚申塔」と明記されている以上根拠があるのかもしれないが・・・以上で「草加の石仏」を終了したいと思います。資料「草加の金石」は地図が比較的正確なものでした。その点石仏探しは苦労が少なかったように思います。ただ、他の地域では基礎資料以外にもいろいろな方のホームページ、ブログなども参考にさせていただいたのですが、草加に関してはなぜかそういったものがみつからず、この資料だけが頼りでした。幸いなことにTATSUさんのブログでお見かけした、庚申塔を主に取材されているブナの森さんからいろいろ情報をいただき助かりました。情報交換ができる同好の士の輪がひろがったらいいですね。ブナの森さんのブログ「東京・神奈川の庚申塔」はこちら埼玉県の庚申塔情報はこちら興味のある方はぜひいちど訪問してください。後回しになっていた草加市も終わり、自転車で1時間前後でいけるところはだいたい回れたような気がします。さて次はどうしましょう?