清瀬市清戸 路傍の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら清瀬市の石仏の最終回です。八王子方面や国分寺方面などに自動車で行き来するときは主に志木街道を使っていましたので、清瀬市は以前からなじみの深いところでしたが、自転車でゆっくり回ってみるとまた違った味わいがあって楽しかったです。全龍寺入口 清瀬市中清戸1-443西[地図]志木街道、中清戸の日枝神社の向かい側、全龍寺の入口の角のところに小堂が立っていた。周りに「安産子育 守護地蔵尊」と書かれた赤い旗が並んでいる。小堂の中 地蔵菩薩立造 享保6(1721)大きな四角い台の上、角柱型の石塔に蓮台に立つ丸彫りの地蔵菩薩像。台も入れると2mは優に超す大きなお地蔵様。この規模の丸彫り地蔵菩薩像でまず思い出すのは、新座市の普光明寺の二つの埋め墓、三本木墓地と「ハケ上」墓地の高地蔵、それぞれ享保13年、12年造立で造立時期も近い。(リンクあります)豊かで端正な顔立ち。錫杖・宝珠も欠損なく、首に補修跡も見当たらない。このあたりの像容も新座の二つの地蔵菩薩像とよく似ている。角柱型の石塔の正面「奉造立地蔵尊爲頓證菩提也」上部両脇に造立年月日。右下に施主當村男女、左下に願主二名の名前が刻まれていた。塔の右側面は無銘。左側面に武州宗岡村 石屋七兵衛作と刻まれている。志木の宗岡の石工の作品。より近い新座の二つの地蔵塔も、もしかしたら同じ石工の仕事だろうか?お地蔵様に対する厚い信仰を表すかのように、四角い台の上の面には多くの深いくぼみ穴が穿たれていた。志木街道枝道アパート駐車場 清瀬市下清戸3-926[地図]志木街道は、下清戸の長源寺の東の信号の先から斜め右に枝道が分かれている。この道をまっすぐゆくと、新座の陣屋通りを通って平林寺の近くに出る。たぶん昔からの古道なのだろう。枝道に入って100mほど進むと、道路左側のアパートの前の駐車場の入口付近に石塔が立っていた。成田山不動明王塔 安政2(1855)角柱型の石塔の上に四角い台をのせ、その上にまた角柱型の台座、その上に不動明王坐像。火焔の光背は一部欠け、像は風化して溶けだしている。両手に持っているはずの剣、羂索ともにはっきりしない。よく見ると台座の正面に制吒迦童子、矜羯羅童子らしき跡がぼんやりと見え、こちらは不動三尊像ということになる。角柱型の石塔の正面「成田山不動明王」右側面に造立年月日。左側面には清戸村 願主とあり4名の名前が刻まれていた。ここまでみつからなかった石仏もいくつかありましたが、とりあえず一周、これで「清瀬市の石仏」を終了したいと思います。12月も半ばすぎて、すっかり日も短くなりました。早朝の寒さも一段と厳しくなり、そう遠くまでは行けそうもありません。しばらくは近場を回ることになりそうです。