新座市栗原 観音堂の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら新座市の東部、南部を県道36号線に沿って見てきましたが、今日はいよいよその最終回、栗原の石仏です。栗原観音堂 新座市栗原1-5県道36号線、栗原交差点の北の角あたりに墓地が広がっている。入り口から正面に見える仏堂は観音菩薩が祀られる「観音堂」参道左側に石塔が並んでいた。地蔵菩薩立像 享保4(1719)こちらのお地蔵様、一度倒れたものだろうか、蓮台は微妙に傾き、像も傷ついているようだ。顔はつぶれていて目鼻立ちも定かでない。錫杖は完全に剥落、足元も切断されたのだろう、不自然な形で蓮台につながっていた。塔の正面を彫りくぼめた中、「奉造立地蔵尊念佛 供養二世安穏塔」下部両脇に結衆 五拾三人。右側面に武州新座郡栗原村、左側面に造立年月日が刻まれている。その隣 題目塔 寛延4(1751)角柱型の石塔の正面に「南無妙法蓮華経」右側面に造立年月日。左側面には「奉唱滿玄名壹千部成就處」と刻まれていた。観音堂の手前左に石仏が集められている。北向きに並ぶ7個の石仏は墓石。その先に東向きに大きなお地蔵様が立っていた。地蔵菩薩立像 享保4(1719)二段の大きな四角い台の上に反花のついた台、その上に角柱型の石塔、敷茄子、蓮台の上に堂々たる丸彫りの地蔵菩薩立像。全部合わせると3m近くなる。参道左側のお地蔵さまと造立年が一緒だが、こちらは錫杖・宝珠など健在、大きな欠損もなく美しい。石塔の正面には偈文。右側面に造立年月日。続いて施主 栗原惣村中 現當二世国家 安全為有無 兩縁證大菩提と刻まれていた。左側面に「奉再建六道能化尊」とある。こういう場合、右側面にあった紀年銘は創建時か再建時、どちらを示すのだろう?さらに願主 當所 法圓。その奥に爲 四恩報謝 二利園滿と刻まれている。像の背中にも銘が刻まれていた。開眼導師 八幡山 滿行寺住 覺莫 欽□。これだけの立派なお地蔵様ともなると、その造立は村にとっても大事業だったことだろう。墓地の西のほうの道路沿いに庚申塔 の文字塔が立っていた。写真左の道路を進むと東久留米方面に出る。庚申塔 文化3(1806)角柱型の石塔の正面、梵字「ウン」の下に大きな字で「庚申塔」下の台の正面に彫られた三猿は摩耗してすっかり薄くなっていた。塔の右側面 武蔵國新座郡 片山郷栗原村。側面の銘は薄く読み取りにくい。左側面に造立年月日。下部に願主、世話人それぞれ1名の名前、さらに惣村中と刻まれていた。さて、4月から始まった「新座市の石仏」も今日で最終回となりました。資料に載っていた石仏の中でいくつか見つからないものもあり心残りではありますが、一応これで終了したいと思います。次のシリーズとしては川越市を予定しています。西浦和から一番近い東部地域から取材を始めているのですが、やはりちょっと遠いもので、まだ納得がいくような取材ができていません。今回は時間をかけて少しづつ紹介してゆきたいと思っています。よろしくお願いします。