蓮田市大字馬込 共同墓地の石仏ー寅子石ー
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら新しいシリーズの準備ができるまで、朝のサイクリングで見かけた石仏を不定期で紹介してゆきたいと思います。雨が降らない限り毎朝1,2時間自転車に乗ります。長時間ライドの場合はサイクリングロードを利用して遠出することも。荒川サイクリングロードを使って北は東松山あたり、南は葛西臨海公園まで、見沼代用水沿いの緑のヘルシーロードを使って北は鴻巣付近まで。昨日は蓮田に行ってきました。以前から気になっていたところがあって、今回はその周りを含めて三か所を見てきました。まずは以前から気にかかっていた巨大板碑「寅子石」を紹介します。大字馬込字辻谷共同墓地 蓮田市字大字馬込東武野田線七里駅の東からまっすぐ北へ、蓮田方面に向かう県道322号線。丸ケ崎交差点で国道16号線を渡り、その先で綾瀬川を越えて次の信号交差点を左折する。しばらく行くと道路左手の水田が広がる一角に墓地があり、その中央にひときわ高い石塔がそそり立っていた。県道322号線は蓮田市と岩槻区の境になっていて、先ほどの信号交差点から東へ行くと岩槻区馬込の満蔵寺のあたり、二年前の夏に「岩槻の石仏」の取材で走り回り、この交差点も何度か利用していた。墓地の入り口右側には二基の庚申塔が東向きに並んでいる。右 庚申塔 寛政12(1800)角柱型の石塔の正面、おおきな文字で「庚申塔」下の台の正面、摩耗していてはっきりしないが、両脇の猿が内を向く構図の三猿が彫られていた。塔の右側面に造立年月日。左側面には武州埼玉郡馬込村辻谷組講中と刻まれている。左 庚申塔 享保12(1727)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。塔全体にかなり白カビが多い。頭の上、馬頭のように見えるがたぶんこれは蛇だろう。右脇「奉造立庚申供養塔」左脇に造立年月日。足元には岩槻型でよく見るM字型に腕を張る正面向きの邪鬼。例によって上半身のみ。青面金剛はその頭を踏む。下部にはやはり正面向きの三猿、これも岩槻型でよく見る形だ。墓地に入ってすぐ左側、二基の地蔵菩薩塔に挟まれて数基の石塔が並ぶが、いずれも墓石。奥の石地蔵は銘が確認できず詳細は不明。左の端に丸彫りの地蔵菩薩立像 正徳5(1715)すぐ目の前に太い木の幹が迫っていて、正面から像全体を写すことはできなかった。蓮台の下の六角形の台の正面に造立年月日。その右の面に武州馬込村辻谷、左の面に同行十八人と刻まれている。300年を経ているにもかかわらず、錫杖・宝珠など欠損は無く白カビも少ない。尊顔は豊かで温かい。墓地の中央、西向きに立つ大きな六字名号板碑 延慶4(1311)板碑表の面、蓮台の上に雄渾な字で「南無阿弥陀佛」と六字名号をくっきりと薬研彫り。蓮台の下、中央に造立年月日。その右脇に報恩眞佛法師、左脇に大發主釈唯願。この巨大な板碑は眞佛法師の供養のために、唯願を願主として造立されたものということになるだろう。鎌倉時代の石造物がこうして目の前に立っていることに驚く。墓地の外に解説板があった。「寅子石」を調べてみると寅子伝説なるちょっと不気味ないわれが流布しているようだが、板碑のほうの銘を見る限り「寅子」なるものと結びつくような銘は見当たらず、なぜこの板碑が「寅子石」と呼ばれるようになったのか、大いに疑問に思われる。