朝霞市上内間木 阿弥陀堂墓地の六十六部供養塔
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちらこのブログを始めてから6年半、取材時にあるはずの石仏がみつからなかったり、わからない部分があってあとから調べてみたいと思ったり、いくつか宿題を残していました。「川越の石仏」を始める前に、ちょっと忘れ物を取りに・・・2015年7月9日の記事「上内間木 阿弥陀堂の石仏」の中で「阿弥陀堂には阿弥陀三尊立像、三面六臂の馬頭観音立像、十一面観音坐像など貴重な石仏がほかにも多数あるということで楽しみにしていたのだが、そのことごとくが見つからなかった。資料は平成4年刊で20年以上前のものとはいえ、いったいどこに行ったのか?あちらこちら歩き回って、ふとお堂の丁度裏のあたりにあるブルーシートに気が付いた。」と書いている。(下の写真は当時の様子)このブルーシートが劣化して中の石仏が見られるようになった。馬頭観音立像、十一面観音坐像は見当たらなかったが、一番見たかった阿弥陀三尊立像に巡り合うことができた。こちらが最新の写真。まともな形で保存されたものはほとんどない。奥のほうに阿弥陀三尊立像が彫られた石塔が立っていたが、資料の写真で見られた笠はなくなっている。角柱型の石塔の三面に阿弥陀三尊を浮き彫り。こちらが正面の阿弥陀如来像。像の彫りは厚く、細部まで丁寧で美しい。三尊とも構図は共通で、敷茄子正面に彫られた花のようすだけが違っていた。阿弥陀像の両脇に武州新座郡上内間木村。下部に願主名。左脇に「万人講」と刻まれている。右側面に聖観音菩薩立像。あでやかな衣装が観音菩薩らしい。両手に捧げ持つのは蓮台だろうか。左側面に合掌する勢至菩薩立像。阿弥陀三尊形式においては、観音菩薩と勢至菩薩は阿弥陀如来の脇侍として主尊の阿弥陀如来よりやや小さい場合が多いが、ここでは、角柱型の石塔の三つの面に三尊がほぼ同格のものとして表現されている。これは大変珍しく貴重なものといっていいだろう。裏面中央に「六十六部供養佛」両脇に造立年月日。享保14(1729)年、上内間木村の万人講によって造立された六十六部供養塔ということになる。多くの石片が積み上げられた中に、四角の大きな唐破風笠があった。その大きさ、形状から考えて、こちらが「六十六部供養塔」の笠だろう。この貴重な石仏が雨ざらしのままというのはいかにも残念です。なんとか修復して、雨除けでも設けて安置していただけないものでしょうか。