見つけられなかった石仏-西浦和小学校西の土手道の馬頭観音
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら資料に載っている石仏がうまく見つからないことがあります。資料が古い場合には、その後の宅地化などで移動されていたりすることも多いですが、場所の説明があいまいだったり、わかりにくかったりすることも結構あって苦労します。時には自分の思い込みが原因でみつからないことも・・・西浦和小西の土手道 さいたま市南区曲本1-1今から7年ほど前、西浦和小学校の西の土手道に馬頭観音が立っているという情報を得てさがしに向かった。こちらが田島通りから南へ入った土手道。写真右に新大宮バイパスが並行して走っているが、土手道は若干高くなる。写真左が西浦和小学校。「土手」というので、この道路と学校側の間の斜面にあるものと思いこみ、一生懸命探したのだが見つからない。どこかに移動されたのだろうと諦めたのだが・・・現場は自宅から徒歩5分。ある時散歩中に思いもしないところに馬頭観音が立っているのに気が付いた。土手道の西側、新大宮バイパスと土手道に挟まれた場所には貸コンテナや2、3階建ての建物などがたっていて、その入り口は新大宮バイパス側、土手道側はその裏になり、写真のような景色である。その荒れた?景色の中、ブロック塀に囲まれた奥に三基の馬頭観音等が並んでいた。当時の私は土手道の東側と思い込んでいたためにこちら側は全くのノーマークだったわけだ。三基のうち両脇の二基は風化が著しく紀年銘などは確認できない。中央 馬頭観音立像 享保17(1732)長方形の光背に六臂・慈悲相の馬頭観音立像を浮き彫り。光背右脇に「奉造立寒念佛爲二世安樂也」左脇に造立年月日。塔の下半分に白カビがこびりつく。浮き彫りされた像は厚く、馬口印を組んだ指先までしっかり、頭上の馬頭は一部が欠けていた。享保年間造立の本格的な馬頭観音塔、馬頭観音の像塔としては最初期のものと言っていいだろう。さて、寄り道はこれくらいにして、次回から「川越市の石仏」を始めたいと思います。今のところ市東部はほぼ取材ができましたが、まだ細かいところが残っていて、ちょっと不安なスタートです。ここのところ毎日のように出かけているのですが、やはり片道1時間かかるので十分な取材時間はとれません。とはいうものの川越市東部は水田地帯で、この時期、青々とした田園風景の中を自転車で走るのはとても気持ちよく、楽しい時間を過ごしています。今日は私の取材道具?を見ていただきましょう。おととしの10月に買った2代目のクロスバイク、ライトウェイ・シェファード。今日現在走行距離27,628Km。1年・1万キロのペースで頑張っています。タイヤ径26インチと小柄な私にはありがたいサイズで、タイヤ幅35mm、通常よりも幅広なタイヤはスピードを出すには不利ですが、ショックの吸収性がよく安定感もあって長距離を走っても疲れません。愛用のカメラ、ニコンD300。12年前発売されたものですが、いまだ現役です。最近の製品に比べると画素数などかなり見劣りしますが、基本性能がしっかりしていてこれで必要十分です。レンズはニコンの単焦点レンズAi28mm f2.8-S。こちらも2002年発売のオールドレンズですが、ピント合わせもやりやすく使いやすいレンズで、このブログの写真もほとんどこのレンズで撮ったものです。それではいよいよ「川越市の石仏」スタートします。よろしくお願いします。