富士見市鶴馬 三光院墓地の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら今日は諏訪の氷川神社の南にある三光院墓地の石仏を見てみましょう。三光院墓地 富士見市鶴馬1-1諏訪氷川神社の南、急な坂を下り突き当りを右折して少し進むと右手に三光院墓地がある。入口から六地蔵が見えるがこちらは最近の新しいものだった。その先に卵塔が並び、さらにその奥、宝篋印塔まで江戸期の石塔が並んでいる。大きな木の下 地蔵菩薩立像 宝暦12(1762)丸彫りの大型の延命地蔵。蓮台の下の台、正面中央に「奉造立地蔵菩薩為二世安樂」両脇に渡って上部に天下泰平・日月晴明、下部に台明山 三光院。さらにその下の大きな台の正面には願主、施主十名の名前が刻まれていた。台の左側面は確認できない。右側面に造立年月日。その脇に武州川越領鶴馬村谷ツ。鶴馬の「鶴」は実際は雨かんむりの付く旧字だが、機種依存文字ということでうまく表示できないようだ。地蔵像の台の裏、狭い空間に隠れるように庚申塔が立っていた。庚申塔 延宝8(1680)中央に「奉造立庚申供養二世安樂所」両脇に造立年月日。さらに左に施主敬白。その下に三猿が彫られているが、真ん中の猿は顔のあたりが破損している。三猿の下に文字が見える。一部はっきりしないが施主、4,5名の名前だろうか。続いて丸彫りの六地蔵菩薩立像 明和6(1769)三体の頭部が欠けている。台の銘は、右から造立年月日、2番目に鶴馬村願主 慈休、3番目に奉納 台明山 三光院。4番目に「奉建立六地蔵尊」5番目は同村谷□柿沢中、最後の台には「□心願供養」と刻まれていた。宝篋印塔の左脇、前後に寄り添うように二基の角柱型の石塔が並んでいる。手前 普門品供養塔 文化3(1806)正面「奉造立普門品供養塔」両脇に造立年月日。塔の左側面には谷津 柿沢講中と刻まれていた。後ろ、百ヶ所供養塔 明和7(1770)正面下部に「奉納 秩父・西國・坂東百ヶ所供養塔」正面上部は舟形に彫り窪めた中、蓮台の上に聖観音菩薩の坐像を彫る。塔の右側面下部に鶴馬村谷ッ。左側面には願主とあり三名の名前が刻まれていた。いちばん奥に宝篋印塔 天明2(1782)屋根型の笠を持つ大きな宝篋印塔だが、こちらは個人のもののようだ。