板橋区志村 延命寺地蔵堂の石仏 その1
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。お正月は2,3日と岩槻区に行ってきました。最も南の釣上地区から野孫、黒谷、笹久保、尾ヶ崎、末田と回ったところで力尽きました。全体の五分の一程度でしょうか。板橋などと違って住宅が少なく、目印になるものがあまりないため、石仏探しは思ったよりもはかどりませんでした。そう簡単にはいきませんね。毎日曜日に出かけて全地域制覇するのは3月くらいになりそうです。延命寺地蔵堂 板橋区志村2-5中山道の志村坂上交差点から西に300mほど歩き細い道を右に入った先、住宅街のなかに地蔵堂があった。門の中に入ると正面にお堂が見える。石仏ゾーンは三カ所。入り口近くの参道左脇、お堂の右横、墓地へ向かう道を挟んでその東の一角。参道左に二基の庚申塔。資料によると志村2-6に二基の庚申塔があるということで二度ほど訪ねたが、その場所には新しい家が建っていて見つからなかった。新築の折にこちらに移されたものだろう。左 庚申塔 延享4(1747)中央に「奉供養庚申待二世安樂」右脇に武州豊嶋郡堀之内村。左脇に造立年月日。下部に十数名の名前を刻む。さらに塔の下部には素朴な三猿が彫られていた。右 庚申塔 宝暦元年(1751)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足の両脇に二鶏、下部には半分土に埋まっているが三猿が見える。塔の左側面に造立年月日。右側面には武州豊嶋郡志村 庚申講中と刻まれていた。お堂の右脇にたくさんのお地蔵さまが並んでいる。中央に二組の六地蔵菩薩立像。あとは個人の墓塔だった。六地蔵菩薩立像。同じような舟形の光背を持ち、顔立ち、体のラインなどもよく似通っている。それぞれの光背には戒名と安政7(1860)から文久2(1862)の命日が刻まれていた。奥に丸彫りの六地蔵菩薩立像。六体とも頭部を欠いた跡があり、いたってラフな補修が施されている。それぞれの台の正面に梵字「カ」が彫られていた。造立年など他に銘は見当たらないが、左から二番目の台には 武州豊嶋郡志村 念佛講中、願主 平□と刻まれている。最後の石仏ゾーンには十三仏などがあり、写真が多くなりますので、次回に改めて紹介します。