緑区の庚申塔その16
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら今朝起きてブログを確認したらアクセスカウンターが10,000を超えていました。たくさんの皆様のご来訪、本当にありがとうございます。さて、今日は緑区の最終回、「さいたま市の庚申塔」シリーズの最終回です。緑区代山・寺山・高畑・上野田の庚申塔を見てみましょう。さいたま聖地霊園南路傍 緑区代山さいたま聖地霊園の南、坂の途中の路傍に馬頭観音塔が二基、庚申塔が二基並ぶ。元禄16(1703)笠付角柱 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。像の上から奉造立庚申右によけて供養二世安楽之処。カビだらけだが青面金剛は凛々しい顔をしている。足元に不機嫌な邪鬼と三猿。その下に村中供養とあり17名の名前が並ぶ。寛政10(1798)山型角柱 正面に見事な日月雲・梵字に続き堂々と「庚申塔」右側面に年号。武州足立郡代山邨講中と彫られている。左側面には偈文28文字が彫られていた。猿田彦大神祠 緑区寺山寺山の法界寺の北西、狭い道の右にある鳥居の奥、祠に奉納猿田彦大神の額元禄16(1703)青面金剛立像 合掌型六臂。足下に三猿。施主 高橋氏。光背に奉造立庚申供養二世安楽之処。浦和東高校北路傍 緑区高畑浦和東高校の北、左の側道の先、道角に石仏が三基並ぶ。右端に庚申塔。寛政元年(1789)山型角柱 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。全体にカビが目立つが彫りは細かく技巧的。足元の邪鬼も個性的で面白い。さらに下の台の三猿はハッピを着ていて、もはやその役割を忘れたかの自由に遊んでいる。こんな三猿も楽しい。塔の右側面に年号。左側面には高畑村中とあり、3名の名前を刻む。氷川神社入口 緑区上野田日光御成街道沿い、野田小学校の北、氷川神社の入口に庚申塔 安永2(1773)板駒型 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。足元に邪鬼と三猿。塔の右側面に年号と「奉造立庚申諸願成就」左側面には武州足立郡上野田村 講中十八人と刻む。御嶽社前 緑区上野田日光御成街道、上野田交差点の東、御嶽社の前の小堂の中に二基の庚申塔。延宝6(1678)舟形光背 地蔵菩薩立像。下部に大きめの三猿を彫る。光背左に年号。右に念佛供養の文字が見える。全体に彫りが薄く読み取りが難しいが光背の下部に施主十数名の名前が刻まれている。天明元年(1781)板駒型 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。足元にずんぐりした体型の邪鬼。さらにその下に三猿を彫る。塔の右側面「奉造立庚申供養塔」その下には年号を刻む。左側面 武州足立郡上野田村、講中二十三人。野田トレーニングセンター西三差路 緑区上野田日光御成街道が見沼区膝子に入る直前を右に入ると、その先の三差路に庚申塔。明和5(1768)板駒型 日月雲 彫り窪めた中に青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。彫りは比較的細かく青面金剛は力感にあふれている。足元にユニークな表情の邪鬼。脇に二鶏。その下には三猿を彫る。塔の右側面 真言27文字。左側面 年号の下に足立郡新染谷村 願主 西信 同 惣村中。以上、この地域では8基の庚申塔がみつかりました。8月から3ヶ月にわたってさいたま市の庚申塔を見てきました。当初は軽い気持ちで始めたのですが、進むにつれて細かいことが気になり、これを機会に再訪して新たに写真を撮りなおすことになりました。桜区・南区・浦和区あたりの記事は写真も記述も不十分で手直しが必要ですが、ブログで「見直しシリーズ」として取り上げても同じことの繰り返しになってしまいますので、ホームページのほうで手直しをしてゆく予定です。このブログで取り上げた記事はホームページのほうにまとめて、保存資料として少しでも見やすいものにしてゆきたいと思っています。ホームページのほうもよろしくお願いします。