鳩ヶ谷駅周辺の石仏 その3
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら昨日の夕方、このブログのアクセス総数が20,000を超えました。一昨年の11月19日から始めて昨日はちょうど500日目。キリのいい日に、キリのいいアクセス数を達成できて嬉しかったです。ご訪問いただいた皆様に心より感謝いたします。これからもよろしくお願いします。今日は鳩ヶ谷駅から西に向かい、川口市里の石仏を見てみましょう。法福寺 川口市里1577鳩ヶ谷駅から岩槻街道の西に出て、さらに県道34号線を横断すると大型電気店の裏あたりに法福寺があった。参道の左側に六地蔵の小堂がある。六地蔵菩薩立像 寛政2(1790)六体がほぼ完璧な形で揃っている。下の台の中央に「奉建立 西国 坂東 秩父 百番供養」脇に年号、さらに戸田領里村 施主 長島氏。六地蔵の先、墓地を背に四基の石塔が並んでいた。左 七観音菩薩供養塔 文化14(1817)塔の正面「奉造立七観世音大士」脇に年号。七観音とは人々を救済するため7種の姿をとって現れる観音。千手観音・馬頭観音十一面観音・聖観音・如意輪観音・准胝観音・不空羂索観音となる。正面に三体、右に二体、左にも二体、合わせて七観音。右奥は如意輪観音坐像。その手前は頭部正面に阿弥陀如来の化仏が見えるが六臂。正面右は合掌型八臂。こちらが千手観音か?正面中央は二臂で印を結んでいるようだ。頭頂部が破損?正面左は三面六臂の馬頭観音。左奥は合掌型八臂。頭部に見えるのは仏面か?手前は左手に蓮を持った聖観音。どれがどの観音様か、ゆっくり調べてみたい。塔の左側面 武州足立郡里村中とあり8名の名前が刻まれていた。右側面にもやはり8名の名前が刻まれるがこちらには江戸袋村中とある。隣 馬頭観音立像 享保18(1733)三面合掌型六臂。カビと苔が目立つ。光背左に年号。右脇には二十三夜講中と刻まれていた。その奥に普門品供養塔 天明8(1788)正面「奉読誦普門品為三万巻二世安樂」両側面には、二段四列にそれぞれ8名の名前が刻まれている。右 庚申塔 安永10(1781)日月雲 青面金剛立像 鈴・ショケラ持六臂。頭の冠の中央は蛇だろうか?口をへの字に結んだ青面金剛は右手に鈴を持ち左手で合掌するショケラの髪をつかんでいる。膝小僧は丸く、衣装の裾も立体的に表現され、細かく凝った彫りと言えるだろう。足元に見沼区あたりでよく見かけた正面向きで両手をM字型に張った邪鬼。青面金剛と同じように口をへの字に結んでいる。その青面金剛の足は細く、邪鬼を踏みつけているというより邪鬼の背中に乗っている感じである。三猿はどこ?と探したら、前の台の正面、下半身は土中にうもれていた。塔の右側面「奉建立大願成就為二世安樂也」左側面に年号を刻み、続いて武州足立郡戸田領里村講中と刻まれている。参道の右側にはたくさんの無縁仏が積み重なっている。その一番高い所に舟形光背型のお地蔵様が立っていた。だいぶ距離があってはっきりした写真は撮れなかった。光背左に見える字は明暦ではないだろうか?その下の二月二十八日ははっきり見えているのだが。さらにその下には武州足立郡戸田領□□□□講衆敬白と刻まれているようだ。光背右「奉造立地蔵菩薩像一躯為念佛結衆□□・・・」残念ながら下部のほうはうまく読めなかったが、そのお姿は厳粛で美しい。