「遺失仏」新所在地報告 美園駅西南路傍の庚申塔
見沼区もあとは東武線の北の地域を残すだけとなりました。ここで久しぶりに所在不明の石仏の移動先がわかりましたので報告します。まずは10年前の記事から・・・美園駅西南路傍 緑区下野田 [地図]浦和美園駅西口のロータリーの南端から西に抜けてゆく細い道の先の路傍に庚申塔 天保5(1834)右側面には 是より 北 いわつき 二リ 東こしがや 二リ。左側面に是より 南 はとがや 二リ 西 原市 三里 と刻まれている。楷書体でくっきりと彫られていて非常に読みやすい。下の台に講中と刻まれていた。=====================================これが2014年5月の記事。その2、3年後に通りかかったときは周辺の工事が始まっていて、この庚申塔は撤去され姿を消した。その後、現地で探してみたが情報はなくあきらめていたのだが・・・先日、庚申塔愛好家のしょうけらさんのインスタグラムで、この庚申塔らしい写真を拝見して早速見にいってきたところ、間違いなくずっと探していた庚申塔だった。移動先は・・・下野田稲荷神社 緑区下野田415[地図] 浦和美園駅西口ロータリーからまっすぐ西に進み、はじめの信号交差点を直進、交差点から200mほど先を右折すると道路左側に稲荷神社がある。神社の敷地の南東の隅に石塔が立っていた。現場は円徳寺の一本西の道沿いになる。薄い四角い台の上の角柱型の石塔の正面 日月雲の下に大きな字で「庚申塔」台の正面に講中と刻まれていた。塔の右側面に造立年月日。その下に是ヨリ 北 いわつきに二リ、東 こしがやに二リ。左側面 是ヨリ南 はとがやに二リ 西 原市 三里。その横に武刕足立郡下野田村。両側面合わせて四方向四地名の里程が刻まれていて道標になっていた。裏面に當村とあり二名の名前。願主だろうか。左に こしがや 石工 長兵エと刻まれている。さて、この庚申塔、天保5年造立にしては彫りもクリアで美しすぎて、初めて見た時から不自然な感じがした。たぶん創建当時のものを、そのまま再現したのだろう。それもこの地域の人たちの信仰心の現れといえる。庚申塔愛好家しょうけらさんのインスタグラムはこちら