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カテゴリ:鹿児島の歴史
前回は霧島市国分の城山公園にある珍しい十三仏を紹介した。 今回紹介する「橘木城跡供養塔」も国分郷土館の同じ敷地内に建っている。 案内板にあるように、南北朝時代の城主・重久篤兼が建立したものとみられる。そして橘木城跡からここに移されたものという。 2基の供養塔はいずれも「南無阿弥陀仏」の六文字が薬研彫りで見事に彫られている。しかも十三仏よりも古いもので建武3年(1336)と暦応4年(1341)に建てられたというから約680年前のもので、圧倒される。 2基の供養塔の右側に、もう一つ珍しい石塔があったので調べてみたが、正体不明である。 上の文字部を見ると「明治・・・」とも読めるので、比較的新しいものかもしれない。どなたか由緒をご存知のかたはご教示願いたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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円の中には××宮?と書かれてますが上文字は読み取れないわぁ。(真ん中の文字は藁とか薬とかに見える)
手前の花か線香を入れそうなくぼみも特徴的。 1300年代のモノと比べると1900年代のモノなのに腐食?劣化が激しいのが残念ねぇ。しかも云われも書かれてないとは。 1300年前の石工さんの彫刻技術は時を越えて文字の迫力を伝えていますね。破損はやはり戦乱のせいなのでしょうかね。 (2015.07.11 14:10:55)
ブヒかつさん
>円の中には××宮?と書かれてますが上文字は読み取れないわぁ。(真ん中の文字は藁とか薬とかに見える) >手前の花か線香を入れそうなくぼみも特徴的。 >1300年代のモノと比べると1900年代のモノなのに腐食?劣化が激しいのが残念ねぇ。しかも云われも書かれてないとは。 > >1300年前の石工さんの彫刻技術は時を越えて文字の迫力を伝えていますね。破損はやはり戦乱のせいなのでしょうかね。 ☆もう一つの石塔の文字は読めない字が多く、残念。 摩耗度のことでいえば、石の種類が違う? のではと思うが自信はない。新しい石塔は凝灰岩(杯が固まって出来た石かも)でしょう。これは弱い。 (2015.07.11 17:23:10)
悠々愛々さん
>こんちわあ~~・・すっ。 > >薬研彫りってなんどすえ~~~??? > >そんなことわからなくて、 > >や~げんねえ~、ってか・・・・ ☆薬研彫り(やげんぼり)とは断面がV字型になる彫りかたと思う・・・。突っ込むねえ。 (2015.07.11 17:25:49)
見事な供養塔ですね。
その古さにも驚きです。 三つ目の供養塔には「明治廿八年(一八九五) 秋葉宮」と書かれているように見えます。 詳しいことは分かりませんが、どこかにあった秋葉権現の碑をここに移設してきたのかもしれません。 (2015.07.11 22:22:54)
九州でも南朝方と北朝方の争いは色々あったようですね。私は大阪では「北畠」という地名の北畠顕家が討ち死にしたといわれているところに住んでいました。北畠公園があってお墓のようなものがありました。
そちらでも、多くの人がなくなったのでしょうね。文字に迫力を感じます。 (2015.07.11 23:48:49)
なゆ多夢さん
>深い彫り込みで、これまたかなり古いものですねェ~ >…う~ん読めない(^_^;) ☆これほどの彫り込みはあまり見たことがありません。 力強く素晴らしい文字です。 (2015.07.12 08:24:36)
rinzoさん
>見事な供養塔ですね。 >その古さにも驚きです。 > >三つ目の供養塔には「明治廿八年(一八九五) 秋葉宮」と書かれているように見えます。 >詳しいことは分かりませんが、どこかにあった秋葉権現の碑をここに移設してきたのかもしれません。 ☆明治と読めますよね。 次回国分郷土館の学芸員さんに聞いてみましょう。 (2015.07.12 08:27:13)
春の陽だまりさん
>こんばんは! >勢いのある、見事な彫だな~と思って見ていました。 >「薬研彫り」と言うのですね。 ☆古いもので私たちに先人が残してくれた遺産ですね。 (2015.07.12 08:28:34)
クレオパトラ22世さん
>九州でも南朝方と北朝方の争いは色々あったようですね。私は大阪では「北畠」という地名の北畠顕家が討ち死にしたといわれているところに住んでいました。北畠公園があってお墓のようなものがありました。 >そちらでも、多くの人がなくなったのでしょうね。文字に迫力を感じます。 ☆中世には鹿児島でも各地の豪族が南北朝に分かれて戦いをくりひろげました。その犠牲は多大なものでした。 (2015.07.12 08:45:09)
まる 2005さん
>こんにちは(^^) > >本当に見事な文字ですね~。 >見ていると、気持ちがしゃきっとしてきそうな >感じがします。 > >貴重なモノがたくさん残っていますね! ☆私もそのきれいな文字に驚き一基づつ写真を写しました。 (2015.07.12 12:49:56)
卑弥呼が”蛇姫”だと言う朝鮮人の古語の本を読んでたら、当然、悪夢見ました。
何故か九州最南端地帯をさすらっていました。 (2015.07.12 18:16:37)
まほろば407さん
>こんにちは(^.^) > >薬研彫りですか? 建武の中興の時代、奈良の吉野の寺院 > >で見た事がありますが? > >こんな素晴らしい字体の供養塔は初めてです!! ☆私も素晴らしさに目を見張りました。 なかなかこういうのは見ませんよね。 (2015.07.12 19:27:09)
逆立ち天子6189さん
>卑弥呼が”蛇姫”だと言う朝鮮人の古語の本を読んでたら、当然、悪夢見ました。 >何故か九州最南端地帯をさすらっていました。 ☆夢ではなくて、鹿児島にもいらっしゃいませんか。 (2015.07.12 19:28:46)
こんばんは。
供養塔は舎利が行方不明なのですね。 命を抜かれたようで可哀想。 秋葉宮との皆さんの推理、なかなかですね。 秋葉宮ならあっても不思議ではないかもしれません。 (2015.07.12 20:03:32)
kopanda06さん
>こんばんは。 > >供養塔は舎利が行方不明なのですね。 >命を抜かれたようで可哀想。 > >秋葉宮との皆さんの推理、なかなかですね。 >秋葉宮ならあっても不思議ではないかもしれません。 ☆この秋葉宮ではないかと推理してくださったrinzoさんは「薩摩旧跡巡礼」というブログを主宰されており、いつも適切な教示をいただいている方です。「三国名勝図会」に書かれた場所を主に回っておられます。若いけど凄い方です。 (2015.07.12 21:39:42)
石にこれだけ筆の動き、力を写せるのは原作の字もすごいのでしょうが、石工の人もすごい技術だったのでしょうね。
(2015.07.12 23:14:29)
こんにちは、ご無沙汰してま〜す(*^^*)
見事な彫りで、圧倒されます〜 写真、バッチリ撮れてますね(^-^) まもなく、夏休みですね〜 最近、合唱団の活動は、どんな感じでしょうか? (2015.07.13 14:31:18)
クレオパトラ22世さん
>石にこれだけ筆の動き、力を写せるのは原作の字もすごいのでしょうが、石工の人もすごい技術だったのでしょうね。 ☆今まで見たことのないほどの出来栄えでそれが摩耗も少なくきれいに残っているのは石の種類にもよると思うことです。当地では凝灰岩という脆い石が石造物にも多く使われいます。ところがこの石は種類を特定はできませんが、明らかに凝灰岩ではない硬い石にみえます。 (2015.07.13 16:36:38)
flamenco22さん
>こんにちは、ご無沙汰してま〜す(*^^*) >見事な彫りで、圧倒されます〜 >写真、バッチリ撮れてますね(^-^) >まもなく、夏休みですね〜 >最近、合唱団の活動は、どんな感じでしょうか? ☆おじさん合唱団は第9回の定期演奏会を8月9日(日)宝山ホールで開催します。いまそのための練習に大わらわです。 (2015.07.13 16:39:42)
凄い。迫力もそうですが美しいです。 残念なのが重久篤兼という武将を知らないんですよね......
(2015.07.13 17:24:03)
今日はコーラスの練習です。次の発表会に向けて新曲になります。
クマタツさんも、仕上げに向けて頑張ってくください。 (2015.07.14 12:25:15)
umamitiさん
>凄い。迫力もそうですが美しいです。 残念なのが重久篤兼という武将を知らないんですよね...... ☆確かに美しさもありますよね。 重久篤兼は私も初めて知り、これからの勉強です。 (2015.07.14 17:53:02)
クレオパトラ22世さん
>今日はコーラスの練習です。次の発表会に向けて新曲になります。 >クマタツさんも、仕上げに向けて頑張ってくください。 ☆急に暑くなったので戸惑いがありますが、がんばっています。 (2015.07.14 17:54:43)
はじめまして。私は大阪在住ですが両親は鹿児島県出身で、母方が重久という苗字で鹿児島では由緒ある名だということを聞いており、重久篤兼について調べていたところ、こちらのサイトに辿りつきました。繋がっているのかどうかもわかりませんが、この方の子孫だとすると大変興味深いです。
鹿児島の祖母の家に帰った時に、税所神社のことを教えてもらい、霧島神宮へも参拝してきました。重久家は税所一族だったようです。もう少し歴史を勉強してみたいと思っております。 また、他の記事も読ませて頂きます。 (2016.11.09 12:21:21)
rikaさん
>はじめまして。私は大阪在住ですが両親は鹿児島県出身で、母方が重久という苗字で鹿児島では由緒ある名だということを聞いており、重久篤兼について調べていたところ、こちらのサイトに辿りつきました。繋がっているのかどうかもわかりませんが、この方の子孫だとすると大変興味深いです。 >鹿児島の祖母の家に帰った時に、税所神社のことを教えてもらい、霧島神宮へも参拝してきました。重久家は税所一族だったようです。もう少し歴史を勉強してみたいと思っております。 >また、他の記事も読ませて頂きます。 ✩ようこそ拙ブログへ 島津家5代当主・貞久の時代は、中央から来た島津氏と地元の豪族が戦った時代です。税所一族の重久篤兼氏もそれらの中で敢然と戦ったものと思われます。鹿児島には「重久」姓は現在もあります。私の中・高時代の同級生にもいました。是非ルーツの勉強をなさってください。私も調べてみます。 (2016.11.09 19:10:48)
お返事有難うございます。親戚は皆、鹿児島在住ですが、私は大阪在住ですのでなかなか叔父などの話を聞く機会がないのが残念です。現在でも重久姓は多いようですね。叔父宅にも、税所神社から御祭りの案内が現在でも届くようです。税所姓も残っているのでしょうか・・・今までは縁ある「姓」について興味もなかったのですが、40代も半ばになると、ルーツについて興味が出てくるものですね(笑)
鹿児島に帰る機会がありましたら、ルーツ巡りをしてみます。 (2016.11.11 09:06:11)
「重久姓」と「税所姓」をウェブ入力してみました。「重久」は南九州に多く、「税所」は特に鹿児島に多いです。私の現役時代のお得意さんの担当者にも「税所」さんがおられました。いちき串木野市在住でしたが、一族の会を持たれたと聞きました。神社もあるくらいですから由緒ある一族で羨ましく感じたことを覚えています。ある程度の年齢になると自分のルーツが気になりますね。是非鹿児島にまたおいでください。案内をかってでますよ。
(2016.11.11 16:56:13)
わざわざ調べて頂き、有難うございます。
母方のルーツには興味津々なのですが、父方には全く興味がなく・・・ありきたりな姓だからでしょうか(笑) 鹿児島案内、有難うございます(*^_^*)ルーツ調べは今後の楽しみにしていきたいです。御縁に感謝致します。 (2016.11.12 17:58:53) |