戦後のインフレを調べていると、
過去に円高対策をした人がいたのです。
田中角栄元総理です。
「昭和史探訪5終戦前夜」番町書房から引用してみます。
木村禧八郎という方のインタビュー記事です。
ーーここからーー
・・これは田中さんが積極的インフレ政策をやったからです。
円の再切り上げを防ぐためにね、調整インフレ政策というのを・・
昭和48年12月にいっぺん円を切り上げたのですね、360円を280円に。
それをアメリカはもう一度切り上げろといってきたのですよ。
日本から安い物が入ってきて困るから、円を切り上げると輸出値段が高くなるのです。
最初の切り上げ以後、それでも輸出がふえてドルがうんとたまったものですから、
またアメリカの圧力がかかったのです。
で、財界は反対なのですよ。そのころ田中さんが総理大臣になったのです。
財界は田中さんに「君は調整インフレをやれ」と、つまりインフレをやって物価を
高くすれば輸出が減って国際収支の黒字は大きくならない。
そうすれば、アメリカから円を切り上げろといってこないだろうと。
これが財界の読みなのです。
しかし、円の再切り上げは防げなかった、アメリカがドルを10%切り下げちゃったのです。
だから円は切り上げになっちゃったのですが・・
で、残ったのがインフレなのです。その後、石油ショックから悪性化しちゃったのですね、日本は。
ーーここまでーー
調整インフレ政策というのは「日本列島改造論」などが代表です。
田中角栄さんは今太閤とか目白の闇将軍とかいわれた権力者だったのですが、
「日中国交正常化」とかいろいろアメリカの頭越しにやったのも気に入らなかったのでしょう。
「ロッキード事件」をしかけられ、死ぬまでいじめられましたね。
その後は円切り上げを迫られても、
日本の政治家はいわれるがまま、されるがままです。
小沢一郎さんは田中角栄さんにかわいがられていたそうですが、
164回もあったというロッキード裁判の公判全部を公聴したそうです。
どう思ったでしょうね?
今また彼は同じようにいじめられています。
もう日本にできることは、ハイパーインフレ道連れ特攻しか・・
じつは現在のpppベースでの円/ドル比は1だそうです。
これは抱き合い心中モードということでしょう。