カテゴリ: 藻緯羅の放談
人間の欲望は尽きることもない。
その欲望を自己制御する能力を、 植え付けることが教育である、 といっても過言でないであろう。 換言すれば、 前頭葉を鍛えるということ。 さて、 究極の欲望は、不老であろう。 不死なのであろうが、 その実は、不老であるはずである。 ある時点からは、 能力的にも、容貌的にも老いたくない。 これが、究極の欲望であり、 神をも恐れぬ欲望であろう。 恐らく、万人にとって。 しかし、この欲望、 教育によって制御されるどころか、 強化されているような気もする。 というのは、 高学歴者ほど、不老に執心しているように、 思われるからである。 そして、 不妊。 もちろん、不妊を望むのではなく 不妊の回避が望みであることが大多数である。 不妊の望みは、たやすく達成されるから 個人の欲望ではなく国家の欲望となっている。 国家と個人の欲望は相反する? (閑話休題) 不妊治療の中には、 神をも恐れぬ仕業を通り越して、 それにより達成される欲望とは何か? 手段と目的の取り違えも越えている。 達成されているものは、 いったい何だろう? この欲望も、高学歴者に強いようである。 この種の欲望の達成には、 多額の金員を要するから、 高所得者の欲望なのかもしれない。 貧乏人の子沢山とは、古くからの言葉。 さすれば、 富むと不老不妊へと傾くのであろうか? これは、 神のいたずらなのか?望みなのか? やりたいことをやろうと、 前頭葉を教育した結果が、 神への挑戦となったのだろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.04.09 06:05:51
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