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田崎正巳のモンゴル徒然日記

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2018.05.02
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カテゴリ:ユーラシアの歴史
さきほど、内モンゴルも一緒に文字革命があった方がよかったどうかは、難しい問題だと書きました。それはモンゴル文字の継承です。

半世紀以上もキリル文字を「使わせられて」いたわけで、社会主義時代には「チンギスハーンの否定」に始まり、モンゴルの多くの歴史や文化は否定されてきました。多くの学者たちも粛清されてきました。

それは同時に、「モンゴルの歴史の記憶の消滅」「モンゴル文字の抹殺」を起こしてきたのです。

今のモンゴルの年配の方々は「チンギスハーンは歴史上、世界最大級の極悪人」と教育されてきたほどです。モンゴル文字なんかもちろん使用禁止でした。

こんな状態が半世紀以上も続いたら、そもそも「モンゴル縦文字に戻りましょう」と言ったところで、何をどうしたらいいか、どこから手を付けていいか、わからなかったでしょう。

でも、内モンゴルには残っていたのです。中国だって相当内モンゴルにはひどいことをしてきましたが、文字の使用禁止はしませんでした。また既述のように、「キリル文字化」も認めませんでした。

その結果が、こうして縦文字が生き延びれる大きな要因になったのです。ロシアも中国も、モンゴル人にとっては民族を分断したり、歴史を消し去ったり、それはそれはひどいことをしてきました。

ですが、こうして別々に管理されていたことで、モンゴル縦文字の文化が生き延びたんだと思うと、ちょっと複雑です。

もし、内モンゴルも一緒に清から独立し、その後ソ連傘下になったとしたら、もしかしてモンゴル文字は本当の「古典文学用の文字」でしかない存在になっていたかもしれません。

最後に、「モンゴルもカザフスタンのようにラテン文字化すべきか?」というテーマです。

私は、今のモンゴル人は「キリル文字を縦文字に変換する」のは簡単ではないですし、パソコン文字などのインフラも十分ではないと思います。

が、ラテン文字化は既にルール化されており、モンゴル語のできな私ですらも、文字の変換ならほとんどできます。つまり、簡単ということです。

もし転換されると、発音の種類が減っていくでしょう。

OとӨ 、YとУなどが整理されて、母音が減っていく可能性はあるでしょう。ロシア文字をモンゴルに導入するときに、これらの複数の母音を追加したわけで、もともとキリル文字に母音がたくさんあるわけではありません。

ラテン文字にするということは、より使いやすく、外国人にもわかりやすくということですから、これらはOとUだけに集約されていくと思います。

日本語だって「いとゐ」「えとゑ」別々でしたが、集約されてきた歴史がありますから、モンゴルもそうなるかもしれません。

ただ、この議論を国会でやりだしたら「キリルのままがいい」「ラテンがいい」「どうせやるなら縦文字がいい」など大きな論争になるでしょう。

これを無理やり決めることは今のモンゴル(の国会)ではできないでしょうから、実現性は薄いと思います。

文字というのは、言語の中の大きな要素ですから、決めるのは自分たちで決めたいというのは当然です。

が、そこに歴史(浸透、書籍、文化)が絡んでくると、簡単には決められないということだと思います。

(完)





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Last updated  2018.05.02 18:32:14
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