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カテゴリ:中央区
ふるさとがあるというのは、嬉しいこともあるけれど、鬱陶しい面もあります。ぼくの場合は、親の都合に付き合わされて各地を転々としたということもあり、ここが本当のふるさとであると自信を持って言い切ることはなかなか難しい。でも今ではそんな引っ越し歩いたことがとても自分にとっての財産となっている気がするのです。特に若い頃はふるさとが一つしかなければいじけてしまったかもしれないと思うのです。それは東京という町へのコンプレックスのようなものがふるさとである唯一の町と比較するには都会過ぎて、東京生まれ東京育ちといった人たちに劣っているという、まあ他愛のない劣等感に見舞われていたと思うのです。しかし、東京とは比較にならぬけれど、国内のそこここがふるさとだと思ってみれば、日本には東京だけではなく様々な町があるのだよと自信を持って語ることができてしまうのです。実際には短期間しか住んでいなくたって、住んでいたという事実によりかつて住んだ町はぐっと身近に親しく感じられ、それにより一期一会であったとしても多くの人と知り合えたりもするのだから確実に人生を豊かにしてくれる気がするのです。
東京で田舎を感じようと思えば手っ取り早いのが東京交通会館に出掛けることです。上野なんかが特に東北地方方面の地方出身者の思い出の地なんて語る人もいるけれど、ぼくにとっては有楽町の東京交通会館こそがふるさとの印象を濃密に感じ取れる場所となっています。このビルには日本各地のアンテナショップがあってそうした面で楽しくもあるのですが、広島の銘酒である賀茂鶴を呑ます「銘酒の店 ひろしまや」もまた濃密なふるさと感に浸れる酒場であります。と書くとさもかつて広島の住民であったかのような誤解を与えてしまいますが、ぼくの長くも短くもない人生において広島で暮らしたことはないのであります。それでもこのオールドファッションなビルの地下飲食街で呑むとあたかも地方のどこかの町で呑んでいるような懐かしさがあるのです。常連客から差し入れられた雑魚を女将がテキパキとおろしと合わしてくれたり、やはりこれも差し入れのいわしの丸干しをさっと炙って出してくれたりするとここが東京の中心地であることを忘れさせてくれるのです。もうこうなるとここは広島でもどこでもない地方のどこかの町でしかないのであって、静岡から時折やって来るという大学教員や隠居後の小田原の住民などと話をするとますますここがどこなのか分からなくなってきて、その混乱は酒から銘柄という雑味をも取り去ってしまうような錯覚に陥るのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018/10/19 08:30:09 AM
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