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おじなみの日記

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2024年03月18日
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1946年1月、戦後の焼け野原の日本の各地で流れて人々の心を癒し力を与えた曲。
この曲は終戦後第一弾の日本映画「そよかぜ」の主題歌として発表された。
映画は1945年10月封切り。

その日本中に戦後の復興と元気を与えた楽曲を1995年1月17日の阪神淡路大震災で
落ち込み混乱している、被災者に届けに並木路子さんが歌いに来てくれた。
その時もやはり戦争を経験した年代の人たちの胸には特に響いたようで、二度も地獄を経験した人に
元気を与えた。

そして急遽、1995年4月1日に並木路子さんが歌うバージョンと新たにアレンジされたバージョンの
カップリングで発売されたシングルCDです。

 






1曲目「リンゴの歌  ニューバージョン」(山野智子さん)
作詞 サトウハチローさん  作曲 万丈目正さん  編曲 石田勝範さん

当時、神戸の被災地でこの曲を聴いた時はちょっと違う感に被災地とそうじゃない場所では
ここまで温度差があるのかと思ったのを思い出す。
派手にラップを入れたり打ち込みとホーンセクションで賑やかにアレンジされ、
ボーカルはアイドルチックな歌い回しで明るく歌っています。
4月1日発売なのでレコーディングはきっと2月〜3月だったと思われるけど、
2月〜3月に被災地の真ん中を体感すれば、こんなアレンジは思いつかないように感じた。
自分の家も全壊で友人や知り合いも多く亡くなって空元気で生きてる時に、
このアレンジは悲しく思えたのを思い出す。
今、聴いてみるとそこまで拒絶反応するほどでもないのですが。
あの時、このアレンジを聴いて複雑な心境になった人も少なからずいたと思う。
本当に心が壊れかけてる時は、逆効果にも思えた。


2曲目「リンゴの歌」(並木路子さん)
作詞 サトウハチローさん  作曲 万丈目正さん  編曲 松尾健司さん

このバージョンもオリジナルではなく、1971年のセルフカバーバージョンです。
オリジナルは1946年1月発売の霧島昇さんとデュエットバージョンです。
1971年のステレオ録音のこのバージョンはアレンジもオリジナルを忠実に新たにアレンジした感じで
すんなりと心に入ってくる。

この曲を聴いてると自分の祖父、祖母、父、母が想像も出来ない神戸大空襲(1945年3月と6月)の
写真で見た限りでは悲惨としか言えない焼け野原の神戸の市街地の中でこの曲をどんな気持ちで
聴いていたのかと想像してしまう。
神戸大空襲の事はいろいろと聞いていたけど、子供には話せないようなもっと残酷な場面も
きっとあったのだと思う。
阪神淡路大震災の時に目の当たりにした光景は誰にも話せないような場面をいくつも見た。
それを思うと戦争での悲惨さはもっと凄かったのが簡単に想像できる。
一つ、子供の頃に教えてもらった話があって、小学生の時に父と姉と3人で「ジョーズ」を
神戸で最大級の映画館だった「聚楽館」に観に行った時に普段は戦争の話はほとんどしなかった父親から
ここの映画館(「聚楽館」)は神戸大空襲の時に町中に転がってた黒焦げになった遺体を詰め込むように運び込んでた場所だったと聞かされた。その光景を祖母が毎日のように見ていたそうです。
それからしばらくは「聚楽館」の前を夜に通るのが怖かった。
(その当時の建物とは建て替えられて違う建物になっていましたが)

大空襲から半年、この「リンゴの唄」が神戸の焼けた街に流れてるのを想像すると、
やっと復興する力が人々の中に湧き出て来た頃なんだろうと思える。



1946年4月(昭和21年)の元町商店街。奥の方に新開地にあった神戸タワーが見えている。
そんなに高いタワーではなかったのに、他のビルや建物が全て焼けたので元町からでも見えている。
ちょうどこの時のこの焼け野原に「リンゴの唄」が流れていたのだと思うと胸が苦しくなる。





1946年(昭和21年)5月の神戸市街地





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最終更新日  2024年03月18日 07時11分32秒
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