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カテゴリ:独生女考
7月1日のさいたまスーパーアリーナでの2万名大会を巡って批判的ブログ記事をいくつか見かける。
kimuchi氏の「『7/1日・スーパーアリーナ・2万人大会に向かって!』」と「「7・1 埼玉スーパーアリーナ日本大会」は “女メシア宣言大会”の挙行」、コスモスさんの「猫も杓子も・・・大会」…。これらは憶測でしかない。その実際を見、あるいは聞いたのか。 「霊界メッセージも、なにそれ? デマねつ造?!」である。 家庭連合が分派で分裂して教会員が減少の一途を辿っているかのような「風評」だ。 キリスト教が広まった歴史を眺めれば、一人が殉教すれば数名が復帰されて世界宗教へと拡大していったように、こんにち、分派へ一人行けばその五倍十倍と増えていることを考えていないようである。 「独生女を信じられない」からといって家庭連合を去った後に、それを受け入れる方々が入ってきているということも事実である。 ヨハネによる福音書/ 03章 11節~である。 ところで、文総裁(お父様)がこれまでされて来られたことを見れば、「大会」「大会」の連続ではなかっただろうか!! 三男さんへ行った前能登教会長・郭炳憲氏もまた、そのようなことを礼拝で語っていたような記憶がある。お父様の戦略戦術は「宣布大会」を行って後にそれを実現していかれる(現実のものとなっていく)。その中の一つ1985年の「共産主義の終焉」は有名な話だ。お父様がダンベリー収監のなかでカプラン教授にそれを宣布するように指示されたものだ。 さて、実体聖霊であるお母様の場合はどうか? お母様の大会はそれとはまったく性格が違っているように思う。 今回の7月1日の大会は「女メシヤ宣布」だなどと書いていたブログもあったが、お父様が宣布され「原理講論」にも書かれた「独生女」を今さらに宣布して回る必要もないことだ。 むしろ、「このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。」(原理講論P.265)。 コリント第一手紙12章1節~さて、キリストにあって分派の方々は「手なのか? 足? 目、耳…」。 コリント人への第一の手紙11章7節~からも見てみよう。 男は、神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない。女は、また男の光栄である。なぜなら、男が女から出たのではなく、女が男から出たのだからである。また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのである。それだから、女は、かしらに権威のしるしをかぶるべきである。それは天使たちのためでもある。ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。それは、女が男から出たように、男もまた女から生れたからである。そして、すべてのものは神から出たのである。あなたがた自身で判断してみるがよい。…… 現在もまた、以下のような人たちばかりか。 ヨハネによる福音書/ 16章 12節イエス様の「独生子」一つをとっても国教となるまでは400年の年月を要した。 こんにちの「独生女」、お父様が語り、また、原理講論とも矛盾したところはない。 分派子女様といえども、霊的にも真の父母様によって「重生」されなければならない方々である。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.06.30 15:18:13
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