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奇   知   外   記

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2018.09.20
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カテゴリ:宗教/天地創造
以下の命題については過去にもブログ村にも上ったものだ。

真のお母様が真のお父様と一体になっているとは、お父様のことを一切、言及しないことなのか?
http://broncos.blog.jp/archives/77018069.html
お母様とお父様が完全に一体となっており、お父様はお母様に全て託されているのであるとし、従って、お母様がお父様のことを言及しなくても特段、不思議ではないとする。家庭連合も同様の見解と思われる。

 一体となっているとはそういうことなのだろうか。……

​これに関しては当ブログでは真のお母様はお父様と一体であるので語る必要がない!!」との意見を申し上げていた。つまりは、

さて、フレデリック・ソンターク著「文鮮明と統一教会」をご存知の方は少ないと思う。この名前は自叙伝『平和を愛する世界人として』のあとがき(P.348)にも出てくる(以下)。





(略。詳細はこちら

私は教会へ来て間もない時で、この本を購入した。一生懸命に読んだかといえば、本を買っては積読(ツンドク)の私であったから1/4は読んだだろうか? その中でも私に残っている内容がある。ソンターク博士が文鮮明総裁とインタビューをしての印象について書いたものだ。米国で牧師に会えばやたらに「神様」という言葉が出てくる。ところが、文総裁とのインタビューではそれがなかったという。それがかえって、神様を近くに感じたという話だ。

言葉を換えてみよう。
お母様(真の御父母様)の場合は、

​(A)が(A')について語らないのではない。(A)と(A')が一体となっているから(B)に語る必要がないのである。​

 である。

​それでは逆の場合も考えてみよう。

お父様の説教集の中でどれだけ「お母様」について語られていただろうか? である。


み言の中には「真の父母」は限りなく見かけることが出来るが、「お父様」「お母様」が合わさったものが「真の父母」ということだ。お父様が「真の父母」と語られるとき、「お父様」だけでなく「お母様」も影のように(この表現は正しくない。『正午定着』だ。)ついてまわるものだ。
同様に、こんにちお母様が「真の父母」と語れば、当然のことながら「お父様」もそこに居られるというものだ。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2018.09.20 22:11:27
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