|
カテゴリ:宗教/天地創造
ブログ村の「独生女」批判は、もはや批判のための批判、誹謗中傷の何物でもないようだ。
これまではお母様直接ではなく、誰かが挙げた論文などを指しては「独生女理論」「独生女論」などといってはそれの批判を繰り返していたが、こんにちのブログ村では「独生女批判理論」を見ることが出来ない。 当ブログでも、お父様が語られた「独生女」、 つまりは元祖「独生女論」の批判はされないのか? と問うたりもしていた。 栄養学の博士は今どこに? 最近のブログ村を見ても「独生女」を挙げて批判めいたことを書かれているが、お父様が語られた「独生女」、お父様はデタラメを祝福家庭に教えておられたというのかを改めて問いたい。 コスモスさん、cocoaさん、「お父さん」ブログ、ほかの皆さんはどうなのか。 万が一そうだとするならば、お母様批判をされておられる子女様方が正しいことを語っておられるとでも? さて、お父様のみ言で「独生女」を語り始められたのは1959年10月11日、 「神様の独り子イエス様がこの地の上に来られて、もし亡くなっていなければ、イエス様が独り子だと語ったので、神様は彼のために独り娘も送られたでしょう。神様の2000年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です」これから数ヶ月のちに父母様の「子羊の婚宴」(聖婚式)があった。「独生子」「独生女」が出会ってされたものだ。批判されている方々はこれを認めないのか? 三人目のアダムが堕落前のアダムとして来て、堕落前のエバを捜し出さなければなりません。堕落していないエバを捜し出して、子羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです。お父様が「堕落前のエバ」とも語られていた。これを見ようともされない。 ところで、聖婚後の1966年5月1日に『原理講論』初版が出された。 この原理講論には「独生女」などのひと言も書かれていなかった。しかしながら、この原理講論にも主人があること(証ししたものであること)をお父様以外に誰が知り得ただろうか。 『ファミリー 2009/1月号』に『「原理本体論」について』お父様が語られたみ言から。 かかしに頼って生きるのではありません。鳥も、行き来する主人が来れば逃げていかなければなりません。逃げずに主人になろうと史吉子さんも考えるでしょう? 「本体」である真のお母様以上の位置に……と、原理講論を執筆された劉孝元教会長の史吉子夫人に原理講論の主人が誰なのか語られていた。また、 「(原理)講論」の時は女性が先頭に立ちました。真のお母様が出てくるでしょう? これもお父様が語られたみ言、原理講論の中に「お母様」と出会われた方はどれだけおられるか。 お母様の「独生女」が間違っていると批判されるならば、 「原理講論」は間違っている!! お父様は間違っている!! とブログ記事で書かれれば、「ハッキリとする」というものだ。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[宗教/天地創造] カテゴリの最新記事
|