6254293 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

奇   知   外   記

奇  知  外  記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Recent Posts

Free Space

にほんブログ村ランキング参加中
↓ 応援クリックお願いします ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

Comments

Calendar

Category

Archives

2018.09.28
XML
カテゴリ:宗教/天地創造
​『「家庭連合」の研究』の『とうごまとヨナ氏』(以下、とうごま氏)は、聖書のヨナ書を文字ってのハンドルネームのようだが、ニネベの王を始めとして全ての人々が悔い改めたため天はそのニネベを滅ぼさなかったという話だ。ヨナはニネベが滅びるのを見学しようとしたが、自分に日陰を提供していた「とうごま」が枯れてしまい神様に不平をぶつけた。
同じく、今回は三日間修練会で悔い改め、お母様と一体となることでニネベ(家庭連合)は滅びることなくトウゴマが枯れるのを予見されてのこのハンドルネームということになる。

今回のとうごま氏の以下ブログ記事にしても然り。

なぜ「韓鶴子総裁」は使命を失敗したのか。(旧約聖書「ルツ記」研究)
https://www.kateirengou.jp/entry/2018/09/27/003031

旧約聖書「ルツ記」を引き合いに出しながらお母様を使命の失敗者に仕立て上げようとしていた。
内容は恣意的な解釈からのものであり、クリスチャンが聞けば先ずは拒絶反応を示すはずだ。
エリメレクの妻『「ナオミ」の信仰と切実な祈り(聖書に記述はありませんが。)』もまた、彼の妄想に過ぎない。

妻ナオミはエリメレクや二人の息子が亡くなった後故郷のベツレヘムに帰ろうとし、二人の嫁にも自分たちの故郷モアブに帰ることを勧める。ところが、そのナオミの元を離れようとしなかったのが「ルツ」であった。ベツレヘムに帰ったところで何がどうなるとも分からない中にただ「主」への絶対信仰を「ルツ」は貫いたのだ。彼のいうナオミの信仰(?)、それは私tomy4509には理解できない。
旧約聖書の「ルツ記」、イスラエル民族が異邦人モアブの娘「ルツ」の名を聖書に記すこと自体が並々ならぬことである。それほどに「ルツ」の絶対信仰が聖書に語り継がれるほどであったということだ。
もしも、とうごま氏がそこからダビデやソロモン、イエス・キリストが誕生してきた血統というぐらいに見ているするならば、考えを変えるべきではなかろうか。

さて、聖書自体は男性の系図を中心として書かれたものであるが、いざ、血統の転換点ともなれば女性の名が必ず出てくる。
人間始祖アダム・エバの時はエバ(善悪知るの木)の「絶対信仰」が問われた。
ノアおじいさんの時はどうか? 妻の名前すら出てこない。お父様は、ノアの妻は悪女だったと語られていた。彼女にもノアのような信仰があったならば、ノアが「信仰の祖」として讃えられていただろう。
「信仰の祖」となったのは、アブラハムだった。そこには妻・サライの絶対信仰があった。自らの生命も顧みずアブラハム(の血統)を守ろうとした。
アブラハムの息子イサクの妻・リベカもまた、絶対信仰の持ち主であったことは言うまでもない。夫イサクを騙してヤコブが祝福されるよう導いた。ヤコブの妻レア・ラケルも然りだ。
タマルについてもお父様が胎中でのアベル・カインの逆転を語られていた。タマルも天の血統を重んじて義父・ユダと関係を持った。そして、異邦人の「ルツ記」だ。
私の過去記事ではダビデの妻バテシバ(ソロモン王の母)についての奇怪な聖書の記述を紹介していた。
以下に引用。


今回は、前回のルツ記からの系図を見てみればボアズは、タマルとユダの間に生まれた双子の兄弟の弟ペレツーヘツロンーラムーアミナダブーナションーサルモンーボアズ、と胎中で長子権復帰に成功したペレツの血統であった。そして、ボアズとルツとの間に オペテーエッサイーダビデーソロモンの誕生となる。

下図からもお分かりのように、ダビデの妻「バテシバ」、ここでも女性の名が記されている。バテシバはダビデの家来ウリヤの妻であった。ウリヤは、ダビデの命によってその後激しい戦場に送られて亡くなる。
ダビデが城の屋上から女性が沐浴をしているのを見染めて彼女(バテシバ)と寝て彼女は身ごもったが、それが主の怒りに触れた。身ごもった子は7日後に死んだ。しばらくして、ダビデはバテシバを慰めてソロモンを生むこととなる。主はバテシバによる次子ソロモンを愛され、後にソロモン王となる。タマルによって胎中で長子権復帰を勝利したとしても、やはり神様は、長子がお嫌いのようだ。
さて、これら詳細はサムエル記下11章~から長々と書かれていてチンプンカンプンだ。ところが、ただ一点気になる記述(奇術)を見逃してはならないのではないかと、個人的には考えている。




サムエル記下/ 11章 01節~5節
 春になって、王たちが戦いに出るに及んで、ダビデはヨアブおよび自分と共にいる家来たち、並びにイスラエルの全軍をつかわした。彼らはアンモンの人々を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。
​ さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。 ダビデは人をつかわしてその女のことを探らせたが、ある人は言った、「これはエリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻バテシバではありませんか」。 そこでダビデは使者をつかわして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。(女は身の汚れを清めていたのである。)こうして女はその家に帰った。 女は妊娠したので、人をつかわしてダビデに告げて言った、「わたしは子をはらみました」。​


この「(女は身の汚れを清めていたのである。)」とカッコをくくっての注釈付きで聖書に収められていることが不自然と感じられないか、というのである。つまりは、彼女は「沐浴」しながらダビデの目に触れるようしていたのではなかったか? とも考えられる。
ここにも何かしかの天の意図、バテシバに神様の「命」があったとしてもおかしくはない。​

その後も列王記上1章~でもソロモンの母バテシバが登場し、ダビデ王の所へ行きソロモンを王にするような図り事をして王になるように協助した。




ダビデの家来ウリヤ(天使長)の妻バテシバを天の側の妻として復帰した象徴となったのではないか? とも考えられる。マタイ伝1章のイエス様の系図にもウリヤの妻(バテシバ)は登場していたが、これもまた将来イエス様が誕生するうえでの条件的基台となったとすればだ。

マリヤも天への「絶対信仰」でイエス様を身ごもった。

こんにち、お母様も「絶対信仰」のお方だ。
果たして「独生女」が容易な道であるか、考えてみれば分かる話である。
人類の母として立つにおいて、お父様とともに地獄のようなところへも行かれた。

 皆さんが絶対信仰、絶対愛、絶対従順するその基準を立てることによって、創造前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の上で立てられたすべてのものが、絶対信仰、絶対愛、絶対服従する群れと、いつでも心情が通じるようになるのです。血族が同じになるのです。分かりますか。
 ですから、アダムとエバが堕落していなかったならば、そのように連結されていたのです。堕落することによって、…
(ファミリー 2004/11月号、P.9)​
​とうごま氏のハンドルネームの由来について別の説も考えられる。

​​​血統(とう)を誤魔(ごま)化す

真の父母様は堕落前のアダム・エバ、(天から)同じ一つの血統であり、その父母様に絶対信仰、絶対愛、絶対服従する群れ(祝福家庭)と、いつでも心情が通じるようになるのです。血族が同じになるのです。
分かりますか!!


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2018.09.28 19:25:15
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.