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カテゴリ:宗教/天地創造
当ブログ記事「【再掲載】再臨主の位置--原理講論から整理を!!」読まれた方はお分かりのことと思うが、イエス路程を継承的に歩んだモーセ路程のヨシュアがそれだった。
ブログ村の過去記事を読めば、お父様は失敗者であり、象徴的路程アブラハムのヤコブ路程だ、あるいは、ヨシュアだとかでどなたかがそれだと書かれていたものがあった。 イエス様の第三次世界的カナン復帰路程の「再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程」を継承されたのが、まさに、文鮮明総裁(真のお父様)であったことを考えれば、そのヨシュア的人物が二人(親子二代続きで)などといったことは原理講論には書かれていない。 よって、やれ「長子だ!」、「二代王」だと騒いでいる支流も見かけるが原理講論の記述からは到底考えられないことである。 「 原理講論にみる「真の父母」とは?」からは特に、 しかし、再臨主はいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、初臨のときのように、復帰摂理の目的を完遂できないで、亡くなられるということはない。その理由は、神が人類の真の父母を立てることによって(前編第七章第四節(一)①)、創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっているからであり、その上、後編第四章第七節に論述されているように、イエス以後二〇〇〇年間の霊的な復帰摂理によって、彼が働き得る社会を造成するために、民主主義時代をつくっておかれたからである。 から見ても、「創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっている」とあり、その延長はない。 ヤコブのハラン苦役のように考えられる支流の方も、イサク献祭の祭壇に横たわるイサク(俎板の鯉)もままならない人物がヤコブになることなど出来ない相談、というのが私からの意見である。 さて、「独生女」は原理講論には記載はないが、「真の父母」--「独生子」と「独生女」が出会っての「子羊の婚宴」-- といえば「独生女」も同参していたことはいうまでもない。 前回は「原理講論にみる「真の父母」とは?」を取り上げてみたが、天一国経典・天聖経を編纂するときは、支流人が八大教材教本「天聖経」を改ざんしたものだ、と騒いでいた。 その「黒・天聖経」にもまた「真の父母」の単語がいくつも並んでおり、
支流人の方々、この「真の父母」にも「独生子」「独生女」が同参していることを理解しておられるだろうか? もしも、「独生女」だけを否定したとしても、そこには「真の父母」もない。 家庭連合は「天一国経典・天聖経」を編纂したからといって「黒・天聖経」を改ざんしたりはしていない。むしろ、「独生女」を否定することで「真の父母」までも黒・天聖経から抹消(黒塗り)されているのが、「改ざんだ!」といっては騒いでおらてた方々ではなかったか。 黒・天聖経にもしっかりと「独生女」の記載があったことは、当ブログでは過去記事で何度も紹介してきた次第である。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.10.12 06:19:29
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