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カテゴリ:夜昼の神様
お父様のみ言「夜昼の神様」について、今日はTWJの2010年10月号『第二十回「七・一節」および第十四回「七・八節」の御言(前編)』(2010年陽暦8月16日)からです。実は、前回「金鍾奭氏、サマリア人氏が引用した真の父母様の「秘密文書」の結末は? 」で紹介していた『文総裁のみ言ではありませんが、TWJ2010年10月号から黄善祚会長(当時)の報告「今、どのような摂理的時をむかえているのか」(P.28~)からです。』もまた、このお父様のみ言の途中で報告されたものでした。
以下、お父様のみ言: この地に存在するものはみな、どこに行かなければならないのでしょうか? 真の父母の、腹中世界の精子・卵子の先祖の位置を失ったので、先祖の位置を探して入っていかなければならないのです。それは、心と体が一つにならなければ、大変なことになります。ここにいる若い者たちは、心と体が一つになりましたか? 「どれ、祝福を受けた家庭なのに、私たち二世同士一つになって」。一つになる前に、心と体が一つにならなければなりません。さらには、TWJの2010年11月号では『第二十回「七・一節」および第十四回「七・八節」の御言(後編)』が掲載されており、より具体的な(『原理講論』では書かれていない)内容も語られているようですが、現時点の私では少し高度にも思えますので、関心のある方(手元にある方)は開いて確認してみてください。 特には、シムソン(恣意存)氏はこのような文章を扱っているので大きな関心を持って読まれることでしょう。「夜の神様オンリー」(「精子神学論」)とどれだけの一致を見ることが出来るでしょうか? さて、上記一文からは「夜の神様がいるということを発表して、どれくらいたちましたか? 何か月しかたっていません。」と書かれていました。このみ言が語られた数か月前とあったので、「「夜昼の神様」はお一人の神様 」(2020.01.03)記事では ところで、画像で挙げたTWJのみ言は2010年7月号、『「清平特別修練会第千回大役事記念礼拝」のみ言』。」は2010年5月1日のみ言ですから、金鍾奭氏、サマリア人氏が問題としていた「秘密文書」が2010年の6月25日(のみ言引用)、その約2か月前のみ言ということになります。と、お父様が「夜昼の神様」を語り始められたのは2010年5月を前後してのことと思います。 余談ですが、10月号のお父様み言からは以下のようなものも発見しました。 支流人の「真の父母様の不一致」を唱えられる方々は、このようなみ言には目を向けられないのでしょうか? (花束贈呈)「真の父母様最終一体」となって(天国の)門の敷居を乗り越えて入らなければならないでしょうか? 支流人の方々もそれを願いますか? 願いませんが? 「私が先に入り、お母様が後から越えれば、門の敷居が外れます。門の敷居が抜けてし」まえば「二つある門の敷居が一つ残ります」が、天国の門が崩れて残るのは地獄の門だけです。 ところが、真の父母様が同時に乗り越えて入られれば、「二つある門の敷居が一つ残りますが、そのときは、地獄はなくなって、天国になるとき、(天国の)門の敷居と直線上になります。」 「父母様は霊界に行くときも一緒に行かなければなりません。私が年上で、百歳を超えるようになれば、お母様も連れて行くかもしれません。」 今年の基元節は真の父母様聖誕100周年記念です。 「二つの門の敷居が一つ残りますが」、果たして??? 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.01.04 12:25:38
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